曖 昧 に 生 き ロ グ 。

か わ い く あ い ま い に い き ろ 。( 伝えるのは下手くそですが、見てくださってる皆さんのこととても感謝しています )

社会的と人間らしさ

 

 

おひさしぶりです👶

外に発信できる形で頭の中を言葉にしていきたいなと思って、

また定期的に復活していこうと思います(-ω-)/

 

目指すは2日に1回更新。←

少しずつ、自分の今までと、これからについても

発信していって、いずれは事業についてメインで更新できればいいな。

 

社会的人間 = 人間 - 人間味

最近こんなことがありました。

団体の中で、メンバーのモチベーションの差やコミットの差が話題になり、

経営陣としては、人を切ることまで考えなければいけないな。と。

 

そんな中、メンバー全員で自己開示のコンテンツを行いました。

自分の過去や、みんなに伝えられていないことなど、

全部吐き出すようにお互いに話をしました。

 

その後、メンバーの間の信頼関係が驚くほど強くなったんです。

ああ、この人たちと一緒に仕事続けたいなって本当に思う瞬間でした。

 

その反面、

「経営陣に関わらせてもらってる自分としては、

ここで自分自身の感情は消して、決断しなきゃいけないのかな」と。

 

その時思ったんですよね。

businessとか会社とか社会とかって、

こうやって人間らしさが失われていくんだなあって。

 

社会性とか、規律とか、人に迷惑かけないとか

そういう話をする中で、

徐々に人と人との間の柔らかいものが、許されなくなるのかと。

 

なおさら、社会にでることが嫌になってしまいました。

私は、組織的思考や経営的判断が必要だとわかっていながら、

そうしたくないと心の底から思います。

 

人間らしさで、人同士のつながりと支えあいで

作っていける組織や会社を心の底から作りたいと思うのです。

 

でも、今までの組織経験の中で、

その思考はしてはいけないのだと決めつけてしまいました。

人間らしさには歯止めがきかず、組織がゆるくなり続けるのも事実でした。

 

社会的人間になるためには、

人間らしさを捨てる合理性が必要なのでしょうか?

 

にんげんらしさってなんだ

その一件があってから、

「人間味」「人間らしさ」と「社会」の乖離に敏感になりました。

 

・決まり切ったきちんとしたものは人間味がない。

 むしろ規律を少しくらい逸脱してしまうところに人間味がある。

 ex.何もゴミ一つ落ちていない道路は機械的

   でも、道端に吸い殻一つあるだけで、ほっこりしたりする。(私は)

 

・完璧にふるまうひとは人間味がない。

 弱みだらけの人ほど人間らしい。

 

・常識や社会からの評価によって、人は縛られ人間らしさがなくなる。

 ex.社会人と学生の関係性に「会社」を持ち込まないと、

    遊んでいると、指摘されかねない。

 

これらから、一つ考えたのは、

今の社会の中で人間らしさは、

きちんときまりきったことをできないこと。

なのかもしれません。

 

ロボットやデジタルが流通する世の中で、

きちんとシステマチックにすることはもういとわない時代です。

だからこそ、きちんとしている人はロボットのようなのです。

ミスばっかりだったり、感情で動く人だったり、

ちょっとルール違反するくらいが、人間らしさなのかもしれません。

 

ただ、それを言い訳に、

取り返しのつかない罪を犯す人もいるので、

(最近話題のDeNAさんとか...)

余計に、人間らしさを奪うように規則が厳しくなるのでしょう。

 

人間らしさとは、自分たちで自制心をもって

ある程度おさえることができなければ、

どこまでも悪くなっていくのです。

技術の更新が倫理的問題になっているのも

ある意味、人間の性に研究者が従ったという人間らしさのあかしなのです。

 

自分達は、人間らしさという言葉に甘えず、

自制心を持ったうえで、許容範囲内でエラーを起こしながら、

そんなこともあるよねって

みんなで言い合いながら生きれることが幸せなのかもしれません。