曖 昧 に 生 き ロ グ 。

か わ い く あ い ま い に い き ろ 。

私が選ぶというわがまま

 

最近気づいたこと

 

 私は気づいたら

人の期待に応えることが

当たり前になっていたんだな

 

 

それもべつに

言葉にされたものでなくて

勝手に私が受け取るものでもあるんだけど

 

しかもそれを期待に応える

という感覚ではなく

あたりまえに

ここまでできなきゃいけない

として受け取ったり

捉えることがとても多い。

 

統括なんだから

社会人なんだから

私しかやる人いないから

私がやるんだから

責任があるんだから

 

ただ、

 

期待をするのは相手の都合

期待を受け取るかどうかは私の都合

 

期待をしてもらったのなら

問答無用ですべて答えなきゃと思うのは

期待に応えられなかったら

相手との関係が終わると思うから

 

期待をしてくれた相手に

こたえられなかったら

もう私になにかしてくれることは

なくなるかもしれないから。

 

でもほんとうは

期待を選ぶのも私自身で

それは相手と関係ない時分の問題

 

 

だから、

「期待に100%応えられるかわからないけど、

私は私のやりたいことをやるだけです。

やれる範囲は自分で決めます」

 

これでいいんだなあって。

 

自分で選ぶんだ

応え方も応える期待も

 

それは私がしてもいい

わがままなんだろなって

そうおもいました。

 

 

というおはなし。