曖 昧 に 生 き ロ グ 。

か わ い く あ い ま い に い き ろ 。( 伝えるのは下手くそですが、見てくださってる皆さんのこととても感謝しています )

自分の立っている場所

 

異常と正常のどちらにも

自分を決められなくて

決められなくなくて

ただ漂うに生きてるようだと思った。

 

必死にみんなの中にはいって

普通を装って

おかしい自分を過去のことにして

今は変わったのだ

少しだけ感じやすいだけ

と思うようにもした

 

世界で1番自分が不幸みたいに装うな

誰だって心に闇はあるのに

自分にしかそれがないみたいに言うな

って、友達たちに言われた。

 

そうやって

自分をおかしいとか病気ってくくって

安心していたいだけだろ。

逃げてるんじゃないのか。向き合うことに。

って、言われた。

 

私もいつしか自分のことを

そう思わないといけないのだとおもった

悲劇のヒロインを気取ってるような

自分がとてもとても嫌いだったし

ただ、自分がその自分が嫌いなのか

それが世の中的には嫌われる行為だから

それをしている自分が嫌いなのかは

今でも分からない。

 

周りの人が

病気や障害で私を捕えずに

まき として 見てくれることは

すごくすごく嬉しかった。

決めつけられない。迫害されない。

それでもまきはまきだと言ってくれる。

 

同時に、

そういってるだけで、

本当の私は理解されないのではないか。

見せたら、幻滅されるんだろうな。

とおもって、怖さや寂しさも覚えた。

 

 

逆に

障害だから仕方ないよな

と言われることはすごく嫌だった

どんなことでもというよりは

今この場で起きていることは

私が悪いんだというにゅあんすで

私の障害を引き合いに出されるのが

とてつもなく嫌いだった。

 

ただ、同時に

普通の人ならこれするの普通なんじゃないの?

と、誰も決めていないような

普通を押し付けられたり、

私の考えはおかしいと言われることも

とても嫌だった。

 

そういう時には

ちゃんと私の障害をしってほしいと願い

ただ、障害で私を判断しないで

決めつけないでほしいとも願った。

 

正直どれも

自分をよく見てもらいたいだけなんだろう

って今になって書きながら思った。

 

障害の悪い部分で私を判断しないで

でも、私がなにかしてしまった時は

障害を考慮に入れて理解して欲しい

 

そんなわがままを

私一人が言ってるんじゃないかって

おもった。

 

 

昨日医者に行って

休職期間がのびた。

 

 

正直なにも悲しくなかった。

ああ、私ちゃんと

自分で決めつけてるのでもなく

自意識過剰なわけでもなく

今はちゃんと異常なんだ

ってどこかで安心した。

 

 

自分が病気なんじゃないかと思えば

誰だってしんどいときはあるよ

私もそう思う時あるよ

と、それを認めることもできない。

 

でも、普通に生活しようもしても

どうしても、みんなのように

うまく生きれない自分が不甲斐ない。

 

そうやって

どちらにいる自分も肯定できずに

自分がどこに立ってていいのかも

分からなくなっている気がする。

 

 

今でも。

 

普通になるって

どんなことなんだろう。

 

私はでも

普通になりたくないな。

 

ただ、

ちゃんと、生きれるようになれれば

いいかな。

幸せを感じられて

悲しみを消化出来て

そうやって生きていけるように

なれるなら、まだ生きてみたい。

 

 

自分くらいは

自分がどこに立っているのか

どこに立っててもいいのか

どこに立ちたいと心の中で

思っているのかを理解してあげたい。

 

 

まだ、わからない。