曖 昧 に 生 き ロ グ 。

か わ い く あ い ま い に い き ろ 。

投資するんだ。自分に。未来に。

 

 

今私自身に何がおきているか

ちゃんとどこかに書き留めておきたいと思った。

 

 

今日久々に

お医者さんにかかりました。

 

ずっと、それをすることで

自分で病人扱いするのが怖くて逃げていたけど

さすがに、そうすることが

自分にも周りにも支障をきたす気もするし

自分で投資の決断として、

選択しようとおもった。

 

 

最近のわたしに何がおきているかみたいな話。

 

ちょうど3週間前から体調を崩し始めた。

最初はめずらしく風邪を引いたなと思っていて

1週間くらい、熱と咳の状態が続いてた。

 

いまも少し咳はあるのだけど

明らかにおかしいなとおもったのが、

3週間以上毎日37度前後の微熱が続いている

 

それが、自分の睡眠不足であったり

仕事のストレスからきてるものだということは

どこか明確に感じているものはあった。

 

 

ただ、これとは別に、以前から実は

6月になったら、もう一度精神科に通おうと

決めていたことがあった。

 

理由は2つ

その上で、最近追加された理由が2つ

 

合計4つもの理由をもって、医者にかかる。

明らかに、溜めすぎだなあとは思うので

すいませんという感じだけど。

 

 

私がもう一度お医者さんにいく理由4つ。

 

 

もう、どう見られるかとか、

自分が自分をどうとらえるかとか

そういう不安は置いておいて、

ぶっちゃけ話で描いてみようと思うね。

(という前置きだけで、

  すでにビビっているけど。)

 

 

①ボーダーラインのカウンセリングを受け直す。

 自分は、境界性人格障害を診断されている。

 それのカウンセリングが続かず、

    やめたり、悪化して病院沙汰になったり。

 今は表立った症状は落ち着いてるから、とか

 みんなから、「もう大丈夫だよ、まきは」

    という言葉で逆に怖くなったりして

 無視し続けて来た部分。

 とはいえ、思考の極端さ、

    大切な人を大切にできない歯がゆさ。

 それが自分の虚無感も、相手との信頼関係も

    作りにくくしている自覚がある。

 

摂食障害に取り組むってことをしてみたい。

 中3から摂食障害を持っていた。

 でも、ボーダーの一つの自傷行為として

    片付けていたところもあるし、

 それだけにスポットをあてて、

    直そうとしたことはなかった。

 でも、結局ボーダーの症状が

    表に出なくなった今でも続けてしまっている。

 気分の浮き沈みにともなってくる、

    過食衝動や、嘔吐衝動。

 普通のご飯を食べる感覚だったり、

    適度な量がわからないこと。

    自分の体系を含めた歪みに対する怖さから

 吐くのを定期的にしな苦なった代わりに、

    去年の夏から始めてしまった下剤。

 今でも、結局表に出ていないだけで

    何も変わってないのだ。

    胃袋を心に満たして虚無感を埋める行為。

 

ここ二つが、6月から

もう一度通おうと思っていた理由。

 

ADHDの検査をしてもらおうかと思い始めた。

 自分のなかで、焦れば焦るほど、

 追い込まれれば追い込まれるほど、

 注意散漫さであったり、

    思考の整理ができなくなったり、

 優先順位をつけれなくなったり、

    忘れることが極端に増える。

 周りに対するもうしわけなさや、

 自分が働いていてはいけない理由になって

    心の枷になる。

 名前をもらったところで

    じゃあ何になるなんてわからないけど、

 すこしでも、そこを枷を

     軽くできる方法があるのなら、

    心の起伏の起きる根本に触れられるかも

 という期待もある。

 

④とはいえ顕著になりはじめている、心身の不調

 ストレスのかかったときに

    でる症状が顕著になった。

 頭痛、めまい、発熱、

    それにともなった睡眠への逃避

 びっくりするほど、

    集中もできなければ、思考もできず、

 物理的にも、精神的にも

    身動きが取れなくなって、

 1日、何もできなくなってしまう日がある。

 2、3週間に1度〜1ヶ月に1度は必ずある。

 そしてそれがいつ起こるか

    分からない状況がここ3週間。

 

 

こんな感じで、ここまで揃って来たら、

まあ、行ってこうという感じだったりする。

 

 

 

昨日、自分は、

一度それがきてしまったのか

まったく1日本当に誰にも連絡を取れず

布団からもでられず、1日を終えた。

夜に布団から出て来てしたのは、

過食嘔吐だった。医者に行こうと決めた。

 

 

会社の人や、周りから、

大丈夫か? っていう

メールがたくさん来た。

全部スクショした。

そして、泣きながら仕事をした。

 

なんも連絡出来てない私を

怒るでもなく疑うでもなく

心配してくれる友人や職場の人に

ただひたすらに安心感と申し訳なさが溢れた

 

自分が、根をあげたら、

そのぶん、今しんどさを同じくらい

感じているかもしれない

上の人も、下の人も、報われない。

私1人が逃げるなんてできない。

 

それよか、その人たちを救えなかったと

嘆いて、しんどくなっているのに、

それなら、自分がその分その人たちの

フォローをしていく他ないのだ。

 

でも、わたしがこうして動けなくなることは、

私がフォローするのではなく、

フォローされなきゃいけないくなるということ。

周りの負担を増やしてしまって、

そして、また自分がしんどくなること。

 

それだけはしたくない。

仕事を手放す気もないし、

フォローしてもらう気もない。

弱音を吐くなんてしたくないし、

大丈夫にしていかなきゃいけないと思う。

 

 

そのために、投資する。

今からの自分に。

 

 

病院は、逃げでも、言い訳作りでもなく、

攻めであり、

みんなを守るための自分作りであり、

つよくなるためのものなんだと思って、

行きたい。

そうでありたい。

 

 

怖がりながら生きている。

 

自分はだれかの一番になんてなれない

自分はどうせいつか見捨てられる

自分が好きな人からは愛されない

 

そんな風な怖さを

持ちながらいきてきたと思う。

今もその怖さはある。

 

だから、仲良い人が

自分以外の人と仲良くしているのをみると

自分はもう必要とされないんじゃないか

なんておもって、妬いたり、自棄になったりするし、

 

いろんなものを与え過ぎてしまって

しかも与えるの先に

だからそのぶんも私をかまってね

がついて回ったりしている。

 

 

そんなわたしを

かまってちゃんやなっていってくれたり

そんなところも可愛いと思えるよと

言ってくれる友人たちに救われているものの

 

どうせその人たちの特別にはなれないのでは

って、私が疑ってしまったりするもんだから

失礼なことをしているなと思う。

 

 

こんだけ一緒にいてくれてる人たちに

なんてこというんだ、って感じ。

でも、不安で不安で仕方ない。

 

 

ただ、今までの過去の自分は、

だから、怖いから深い関係を持つことをやめよう と

広く浅く、誰にも中には入れまいと

大切だと思ってしまったら、不安になるからと

人と関係性を作ることを拒んできたけど、

 

最近はそれでも

怖いけど怖いなりに

怖いのは本当はそういう人がほしいからだもんね と

諦めて、怖い怖い言いながら

結局大切な人をみつけてしまうし

大切で大好きだと言い過ぎてしまうし

大切にされてないかもさみしいと言ってしまうし

 

でも、引きこもらなくなった

閉ざさなくなった。

 

がんばってるなぁ。わたし。笑

 

 

よしよし、可愛い生き方してるぞ。笑

 

 

しんどいやろうけどな。

それがわたしだもんな。

 

 

私は大切にされたいという欲求が強いかもしれない。

でもだからこそ、

私にとっても特別な人たちが少なからずちゃんといて、

その人たちを特別だと思いたい気持ちも人一倍強い。

 

だから、それがその人たちが

望んでいるよりおおきすぎて

引かれないかとびびったりしているけど、

 

それでも私ができることって

大好きなんだーって伝えることしかないし

不器用だけどそれでいいかそれでいいかなと。

疑ってたのは私だった

あぁ、

疑ってるのは

私だった。

 

 

関係性って

維持しようと努力しなければ

離れていくものだし

変わっていくものだし

無くなっていくものだし

永遠なんてありえないって

そう思って生きてきたから。

 

あのころは

たいせつだって言ってくれてたあれも

特別な存在だってゆってたこれも

 

 

その時そう思っていたに過ぎないって

なにもなければなくなっていくって

勝手にそう思っているし

 

だから、もう

その言葉はわたしのここにはなくて

いまはもうそう思ってないんだろうな

って疑うことしか出来なくて

 

 

疑い始めたら

結局ほらそういうことじゃんとか

嫌な気持ちになったり

 

今までのことが

全部嘘だったんじゃないかなんて

思えてきて悲しくなって

 

そばにいまいる人が

ひとりひとり信じられなくなって

 

そんな自分が嫌になって。

 

 

心の根本にある

こんな私が大切にされるわけない

私なんかがこんな人達に

見てもらえるわけない

 

これがある限りは

勝手に私がみんなを

信じられないんだろうな

 

こんなんで

何を信じたらいいかわからなくなって

みんなといる時に虚無感とか

喪失感に襲われてるなんて

 

なにゆってんだって

笑ってくれる人がいたらいいな。

 

なんのために働いてるの?

今日のとある会話

 

ーなんのために働いてるの?
みんなと幸せになるため

 

ー幸せになるって何?
幸せにすること

 

ー幸せって何?
生きててよかったって死ねること

幸せってどこの基準がみたせたらとかないとおもってて、どちらかというと、いっぱいあるそれが、満たされてって溢れた時にふと、「あぁ、幸せだなあ」ってこぼれちゃうようなもんだと思うな

 

 

ーなんで働くことが幸せにすることにつながるの?
私の作りたい社会がそれだから。

 

ーなんで働くことと社会が繋がるの?
そのためにしか働いてないから

 

ーじゃあなんでそういう社会をつくりたいってまきはおもうの?
それは私の過去知ってたらわかるくない?

 

ーいやそうだけど、それも踏まえて。
自分は誰かがいないと生きていけなかったし、てか人って誰でもそうだと思うし、それで今こうして幸せであれてて、そうなったときに、私を幸せにしてくれた人達は私より幸せになれてるか?とか、じゃあ私が今度は下の人たちが幸せになれるように与える側でありたいと思うから。

 

ー恩返しはわかるけどしたになにか残すってなんで思えるの?
だって、自分は誰かが用意してくれて誰かがくれる中でこうやっていきてこれた、つまり次の子達だって、誰かに何かを与えられて学んで大人になる。だから、人はどこかのタイミングで次に送る側にならなきゃ。

 

ーなんでそう思えるの?
私は今そうして生きているし
みんなも生きているから。

 

あとは、私が単純に子供をうみたいと思ってるのもあるのかな。下の子たちにって気持ちって私にとっては母性に近い感覚な気がする。

 

ーまきは母性をなんでもってるの?
それはわかんないよ。

ていうか、全部に理由をつけることより、理由わかんないけどこれはこうだと思うんだよねってことがさ、大事なんよ。だってもうきっとそういう人間として生まれてきたんかなって思えるから。

 

 

おもしろかった。

そんでもって、たぶんこれ割と眠いのにゆーたから、本音。健忘録。

気持ちよくなる瞬間。

さっぱりする瞬間って

案外一瞬でやってくるんやな

という、感想。

 

どちらかというと相手がどうとか、

関係性がどうとかじゃなくて、 

自分が出し切れたらすっきりするんやあ

っていう、新たな発見。

 

自分の人の大切に仕方は

中々、一般から外れている自覚はあって

 

昔なんかは

その相手の反応で

あぁ、この人は受け取ってくれへんのや

とか思って悲しくなってた人間やけど 

 

いまも、多少はそういうんはある

でも、そこから自分を責めなくなったな

 

自分の愛し方は愛し方で

不器用やけどまっすぐでええやんって思う。

 

そのうえで

ゆーたら、火加減が苦手だからこそ

人との関係性の測り方は

それが届く距離のとり方で

決めるような感じなんやろなぁ。

 

だから、そばにいる人って

なかなか選べないというか

見つからないけど、

どっかにいるのも、知ってるし

今の大切な人達は

いまの中で大切にしようと思う。

 

 

ふぁー。

すっきり!

お風呂上がりみたいな感覚。

気持ちいいまま、

おやすみなさい。

 

 

ちから。えいきょうりょく。

 

 

ちいさくまとまってんなぁ。

 

 

って言われたの。

 

 

確かにそうなのかもしれないなぁ。

今の仕事の環境につき始めて

私は変われたなって思うことが多い。

 

昨日も話したけど。笑

 

今まで自分の過去を明かすことは、

人から避けられるものだと思ってた。

 

精神疾患をもっている とか

自傷癖がある とか

自殺未遂をしたことがある とか

 

でも、それを誰かのために

使えるんだなと思えたり、

それを伝えてみても

まきはまきじゃんってゆってくれる

 

いいんだなあって思った。

 

幸せになっちゃダメって思ってた

不幸であることがアイデンティティ

悲劇のヒロインになりたかった

誰よりも不幸な私が頑張ってるって

 

でも幸せになっていいんだなぁって。

 

 

 

そしたら、気がついたら

わたしをわたしとして見てくれる人 を

周りに固めるようになった。

 

わたしが何をしてきたか

何を語れるか

どんな力があるか

 

そんなことにまったく興味ない

そんな人達が好きになった

 

 

それまでの私は、

誰よりもすごくありたかったし

だから、

すごいって言われることが快感だった

知らない人が私の名前を知ってること

なんか、小松さんに会えって言われて

そんな人達がくることが嬉しかった。

 

 

でも、

なんか、あのころの自分は、

自分はすごいって

マウントとってるだけに思えて、

 

教えるとか、

崇拝されるとか、

ファンがいるとか、

 

確かに今も嬉しいんだと思うけど、

そんなに求めなくなった。

 

 

 

でも、

なんか、エネルギーの使い方

やりようあるのかなぁ

と思ってみたりもした。

 

そんな、言われた言葉に

素直にゆさぶられるなよ

と思ったりもするけど、

 

 

わたしがやっていきたいことを

作りたいものをつくるには

伝えたいことを伝えるには

 

ある程度の伝える力と

それだけの影響力もいるんだろうなって。

 

 

伝え方の問題で

さっきの話は解消されたり

するんかなあって。

 

 

確かにね、

実は自分、人の前に立つの好きなんよ。

頼られることもすごく好き。

 

やっぱり、あなたすごい!

っていわれるのも好き。

 

ほかの人と違うな。

尖ってるな。

そんな言葉も好き。

 

 

でも、

あのころの自分は

やっぱり、

怖さをもっていなかったというか

力を振りかざしていたというか

 

それを快感に思ってた気がするから。

そんな自分には戻りたくはないんだけど。

 

 

ただ、今のわたしで届けられるものを

わたしなりの形で届ける努力は

してもいいのかなあと思ったり。

 

 

 

自分のことを言葉にすることは増えたけど

自分が考えていることを

発信することはめっきり減った。

 

それが、だれかに響いても

だれかを傷つける可能性も

同時にあるって知ったから。

 

自分には少なからず

人よりは強い影響力があるとも知ったから。

力の使い方を迷うようになって

迷った結果力を使わないようになって

 

 

 

自分の力を自覚することって

いいことなんだけど、

こうやってちいさく縮こまってるって

自分でもおもうんだよなあ。

 

 

力の使い方が

しばらくはテーマだなと

思うこの頃。

愛を知った日。

 

最近ふと思ったけど

全然新しい人に会ってない。

 

仕事上いろんな学生にも会うし

初めましてなんて毎日あるんだろうけど

 私の中で増えていかない。

 

 

なんというか

大切な人をほこほこと

大切にしたい時期なのかなぁ。

 

 

でもこの時期というわりに

この時期が、一年以上続いている。

 

自分の中でこの人達と生きたいなぁ

って思う人を

ただただ愛で歩いてるような、日々。

 

 

 

思えば、始まりは

今の仕事の環境を選ぶと

決めたときからだったかなぁ。

 

それとも、

半年前に別れた

人生で一番長く深く付き合った

あの人に出会ってからだっけ。

 

そのふたつの始まりをくれたのは、

私の中で踏ん切りつけてくれたのは、

 

 

 

ああ、そうだった。

あの子を中絶してからだったな。

 

 

二年前。

2016年5月5日

 

わたしは人生で初めて

人の命を自らの意思で殺めた。

 

 

 

中絶というものを

本人も周りも隠すことが多い。

 

中絶を経験したことで

どんな目で見られなきゃいけないのか

私には正直わからない。

 

人を殺めた人間への怒りか

軽率な行動をした人間への軽蔑か

そんな人間が幸せになることへの批判か

 

私も当時は隠していたし、

親にも言わず、当事者にも言わず、

唯一頼れる先輩からお金を借りて、

そして、一人でおろした。

 

ただ、あの子が私に教えてくれたものは

私にとってかけがえないものだったと思う。

 

 

 

誰かのために

自分を犠牲にする生き方はやめよう。

 

私は私の守りたいものを

守りきれる人間になりたい。

 

今までの私、よくがんばった。

ちゃんと幸せになろう。

幸せにならなきゃ、この子に失礼だ。

 

もっと幸せになって

ちゃんと、幸せに出来る家族を持って

次は、一緒に喜ぼう。   

 

 

そんなふうに気づかせてくれた。

だから、私にとって

中絶という過去を

ダメなものだと隠すことが

殺してしまったあの子に失礼なんです。

 

だから、ありがとうって思うから。

ごめんなさいって思うから。

おかげで、幸せになれたよと思うから。

今日もこうして語りたい。

 

あるべきことではなかったんだと思う。

経験していいものでもなかったんだと思う。

あってはいけないことなんだと思う。

でも、だからこそ、

語ることをやめてしまうのは

本当に本当に違うと思うのだ。

 

 

幸せにしてあげれなかったけど

あの子は私に幸せをくれた。

 

 

あのころ、

こんな私は幸せになる資格はないと言った。

私を愛してくれる人はいないと言った。

私の愛し方は歪んでいると言った。

こんな人間が、生きる資格ないと言った。  

 

 

今はもうそんなこと思わなくなった。

 

 

不器用だけど、全然ダメだけど

幸せになりたいと思ってる。

幸せだって思ってる。

愛されてるって思ってる。

ちゃんと、愛せてるって思ってる。

生きていきたいと思ってる。

 

ありがとう。

 

 

まぁ、だから、

こんな生き方でもいいかな。

 

目の前の大好きなあなたたちを

ただ幸せに大切に守るために。

愛するために。

一緒に幸せになるために。

 

 

私は生きようと思う。

幸せになろうと思う。

あなたのために

幸せを、作ろうと思う。

 

想いは変わらない

やることも変わらない

 

変わったのは

生きる意味だと思う。

 

 

 

今年も、また、

考えさせてくれてありがとう。

ありがとう、

少しの間でも私のそばにいてくれて。

ありがとう。