か く れ ん ぼ

ゆ る り ふ わ り と つ む い で く 。

無性に世界がステキに見えた話。

自分という存在が

世界に溶けていくような不思議な感覚

味わったことありませんか?

 

今日の電車の中の出来事

阪急京都線

梅田から河原町の急行電車

 

携帯から音楽を流す。

曲は04 limited sazabys

 

インスタを開いてみる

高校の親友の投稿。

彼氏さんと1年6カ月。

出会って3年。好きになって3年。

 

知り合いの先輩の投稿。

彼女さんといよいよ結婚した話。

お似合いなカップルがお似合いな夫婦になる。

 

ああ、自分もあと3日で1年記念日。

普通なら、一緒にいることすら不思議な関係が

こんなにも長く、続いている不思議。

 

空は晴れて、綺麗な光が入ってきて

ああ、幸せだなって。

 

世界に自分が溶けていくような感覚を覚える。

 

生きてることも。

好きな人がいることも。

友達がいることも。

空が晴れていることも。

好きな音楽があることも。

 

すべてが奇跡みたいで尊くて、

こんなの当たり前じゃないんだって

永遠じゃないんだって

刹那的で悲しい意味じゃなくて

幸せで溶けていくような

体の芯に届くような不思議な感覚。

 

別に今が夢でもおかしくない。

いつ夢が冷めて、今まで全部嘘だよって言われても

そりゃそうかって笑ってしまえるくらい、

いまの世界は美しい。

 

幸せのためにこの世界は存在する。

 

きっと、すべてのものは何かしら存在する意味がある。

理由があって、そこに、ここに存在している。

 

それは誰かを傷つけるためでも、

誰かを悲しませるためでもなく、

 

幸せを交換することだったり、

幸せをだれかに与えるためだったりする気がする。

 

すべての存在が、

幸せになっていいんだよって

世界からギフトをもらって

この世界に存在している。

 

そんな気すらしてしまうくらい、

今日の世界は美しかった。

 

世界とわたしの境界がなくなって

世界に存在するすべての感覚が

自分に降り注いでいるかのようで

溶けてしまいそうなくらい。

 

今日も世界は美しい。

ありがとうのために生きる

こんなことを言うのは恥ずかしいけど

昨日(22日)夜にご飯に行った友人が

自分の出会いを言葉にしてくれていた

 

すごいうれしかったと同時に

自分の中で立ち上がった思い

『この人に失礼のないように生きよう』

 

大事にしたいな。とても。

 

そっくりさん

似てるとか、分かるとか、一緒だとか

実はあまり使うのは好きじゃない。

相手にあわせてあえて使う時はあるけど

なんだか、おこがましいなと思って

あなたの感覚に全て立てるわけじゃないし、

見てる世界は絶対に違うんだから

 

というのを前提にしても

ああ、わかるって人に本当に久しぶりに会った。

 

聞く言葉、話す言葉、

ひとつひとつが、

『私も同じこと意識してる!!!』

『私が大事にしてること言われた!!』

みたいなのが多すぎて、

 

私は人から

『価値観が違う』『特殊な人』

『経験が違う』『あなたみたいになれたい』

ってよく言われてきた。

 

でも真っ当に

色んな経験して感情感じて考えてきた。

それでも線引きされることは多かったし、

だから、一歩引いて、そうなんですねって

そういうことが多かった気がする。

そして、それに諦めてる自分もいた気がする。

 

でも、

ああ、ちゃんと横に並んでくれる

一緒にひとつのものをみて話せてる

そんな感覚が久しぶりで、心地よかった

 

ありがとうのために生きる

 

私は自分が人の人生に関わることに対して

関わってはいけない とか

不幸にしてしまうのではないか っていう

先入観というか固定概念が強いところがある

 

高校までは特に顕著で

『私なんかがあなたの記憶に残って

 人生に関わってしまってごめんなさい』

そう思ってしまう人間だった。

 

ただ、

昨日の友人もそう、

自分が関わったことを、

その人の中で大事にしてくれる人、

私がどうこうではなく、

本気で私に向き合ってくれる人

 

そんな人に出会った時に、

この人たちにごめんなさいなんて

言うのは失礼だって思わされた。

 

だから、

『関わってくれてありがとう』を

かえせる人間になろう。

返すために生きよう。

そう思えるようになった。

 

 

それを最近またすこし意識から消えてた気がした

慢心してたのか、

別のことに意識が向いたのか、

 

でも、昨日の出会いで

あらためて根本にあるその思いを

大切にしたかったんだって

もっかい握れた気がする。

 

ありがとうのために生きよう

 

愛されたいんじゃないの、

あなたが私に関わってくれた時点で

わたしはもう愛されてるって思えてる。

 

それよりも、

わたしがあなたにちゃんと感謝と同じだけの

それ以上の愛を返せているか

ただその一つが怖いだけなの。

 

わたしの根本の欲求はそれなのです。

私はあなたを愛せていますか?

愛は届いていますか?

愛してもいいですか?  

 

そんな届けるために生きる私になりたい。

子供と大人と矛盾

 

矛盾の中でもがいてる姿こそ

人間らしい瞬間を感じることはない気がする。

私はだから、矛盾の中で生き続けたい。

 

そんなことを思いながら

今それを書いておくことで

自分のこと正当化したいんだろ

って思いながら

今日もちょっとセンチメンタルに。

 

メンタルがタルタルソースなんです

 

今週の日曜日と昨日(22日)に

私氏が関わる二つの団体で

同じ問題を起こしてしまった。

 

そこに介在する自分が

とてもとても子供で悲しくなったりした。

 

私のくせとして、

人から否定されてると感じた瞬間の

メンタルの崩壊速度がおかし早い。

 

自分が否定されてるって感じた時、

どんな顔でそこにいたらいいかも、

言葉をどう受け取ったらいいかも分からなくなる。

 

相手はきっとそう思ってないし、

私がそう感じてるって見せたら嫌われる

それは否定される私が悪いのだから、

なにも私にはする権利がないと思う。

 

そして何も言えなくなる。

 

それが嫌だから、

否定されないような自分になるために

完璧であろうとする自分がいる。

 

それによって自分を正当化して、

自分を守るために誰かを否定する自分がいる。


大変めんどくさい性格だなぁと思いながら。

 

その思考の癖や、反応の癖が

2回ともでてしまったなあって思ったり。

 

頑張ってるのに!認めて!

 

私の中に存在する子供な私

『こんなに思い込めてるんだよ!』

『こんなに時間かけてるのに!』

『あなたはしないけど、わたしはやったんだよ!』

『頑張ったんだから認めてよ!!』

 

こんな感じ。

アウトプットの質やあり方など、

単純に私ではなくもの自体に対して

目の前にある現象に対して

 

もっとこうあればいい

というフィードバックをくれること。

それはとてもありがたいことだし、

チーム全体の価値発揮のためにとても重要

ってわかってる大人な私ももちろんいる。

 

そして基本的にはこのスタンスにたって、

あるべきものへのフィードバックを

わたしだって常に行っている。

 

でもわたしがされる側になった時

こんな子供なわたしが主張を始める。

 

『確かにできてなかったかもしれない、

    でもあなたはそうやって言うだけでなにもしてないじゃん。なにもしてくれないじゃん。

    わたしだってこれでいいか不安でわかんない中でわたしなりにがんばったのに、

    なんでそこまで否定されなきゃいけないの!』

 

そんな思いがだんだん沸き起こって

 

『自分は何もしてないししようともしてない受身なのに、相手にだけ否定するんはおかしいでしょ』

だったり

『私はここに対して本気だし、今日だって本気でこのために頑張ってきたし、

   なんで、行動一つで私のここへの思い全部否定されるの?』

だったりって

 

言葉が出てきてしまうんです。

 

根幹にあるのは

『がんばったことをまず認めてほしい』

 と

『私のできないが露呈することでみんなが幻滅して私のことを嫌いになることが怖い』

のおもに二つ。

 

嫌われたくないし、認めてほしい。

 

ただの自分を中心にして

相手に対して思った感情が露呈する。

 

このとき、周りの為ではなく、

わたしが私を守るためにしか、

言葉や行動を使わない自分

 

そこまでして何を守りたいのか。

そんなことまで思えたりする。

 

バランスのとり方

 

私は天秤座なのだけど、

なんか私の価値観そのものだなと思う。

 

相反するものが世の中なもわたしのなかにも

たくさんあって。

 

私はどれか一つを選ぶのではなく、

二つの相反するものの真ん中でいたい。

 

子供な自分と大人な自分と

どっちかでるときももちろんあるよね

うまくいなかいひだってもちろんあるよね

 

でも決めつけない。

でも偏らない。

だから、悩める。迷える。

 

悩むこと、悩むことは、

本当に大切にしたい現れだと思う

 

私はそういう意味では

疑う心って最高の愛だなとかおもう。

 

何に対しても。

社会に対しても団体に対しても

そして自分にも相手にも。

 

矛盾を抱えていることは、

なによりも人間らしくて

人間くさくて

 

わたしだからなんだな

生きてるなあって思える。

 

それを理由に逃げちゃいけないって思いながら

そう思うんだよねって思う自分

 

この矛盾というかバランスというかが

たまらなく好きだったり嫌いだったりする

 

だから明日もがんばろうって思う

そんなお気楽人間なんだろうなぁ笑

 

 

君の膵臓をたべたい

ある本を読みました。

 

君の膵臓をたべたい』 

双葉社 住野よる

 

あ、ちなみに、

ネタバレ覚悟で私が感じたことを書きたいだけなので、内容知りたくない人は読まないでね( ˙o˙ )

 

時系列の不思議さ

 

はじめに読み始めた時、

最後の結末から話を持ってきているのかと思った。

 

そして、その不思議さを埋めていく話。  

そう思って読んでいたので、

答えが見えている気がしながら読んだ。 

 

ところが、それは、 

クライマックスよりも全然手前で、

あれよあれよと見えてくる新しい真実に

最後は泣かずにはいられなかった。

 

ぶっちゃけ最初に思っていたのは、

膵臓の病気の彼女に恋した男の子が

彼女の死を前に伝えられなかった気持ちに

最後にようやく気づいた気持ちに、

後悔していくような結末なのかなと。

 

そんな、読者にとっても当たり前の、

余命宣告を受ける彼女は、

そのまま真っ当に最後を迎えるという

最後の日まで明日は来るという常識を覆された。

 

つくづく人というのは、

どの人にも同じ確率で訪れる死というものの

感覚がはてしなくゆるい生き物なのだと実感した。

登場人物からもおもったが、 

話の展開を信じていた自分からも

それを感じずにはいられなかった。

 

名前

この本には

話のメインとなる二人の名前が

極端に出てこない。

 

『君』と『【〇〇】くん』という表現

【〇〇】には主人公が自己完結的に

相手が自分をどう捉えているのかが入る

例えば【仲良し】くん、【地味なクラスメイト】くん

 

そして、彼は

彼女にも自分がそう見られるのを

どこかでおそれていた。

だから彼女の名前を呼ばなかった。

彼女が死ぬまで1度も。

 

だからこそ、

常に不思議な感覚で進んでいく物語。

名前が隠されている、見えない。

それと同じだけどこかに隠されてる何かがある

そんな不思議さを抱えながら最後を迎える。

 

二人の関係はそれくらい

不思議でこちらには伝わりにくく

そして、読者にすら隠されているような関係

 

死についての言及

わたしが死生観をテーマ関心に

おいていることもあり、

この本をよみながら、

そこを常に意識させられた。

 

なぜ余命一年と言われる彼女には

考えられる生きることの意味が

いつ死ぬかわからない彼には

考えられないのか。

 

なぜかどこかで

死は自分とは程遠いものだと。

目の前の人からも遠いものだと考えるのか。

 

彼女はいっていた

死ぬ前にやりたいことをしておけばって

あなただって明日死ぬかもしれないのに 

自分のやりたいことのために

時間をつかっていないのだから、

あなたにそれを言う権利はないし、

私の時間とあなたの時間は同じ価値のはず。

 

間違いなかった。

いつどこで死が訪れるかわからないのに

余命をつけられた彼女だけが

死を認識している。

 

それは、 ある意味余命を与えられた人の

特権のように思えた。

 

余命の与えられない私達は

いつ死ぬのかわからぬまま

そこに対して準備をすることも出来ない

 

この本をよんだからといって

その準備を始めた人は

はなしてどれだけいるのだろう。

 

唯一の愛情表現としての

2人は正反対の人だった

だからお互いに惹かれ、憧れ、羨んでいた

 

彼が彼女に

君の膵臓をたべたい』とゆったとき

それが彼の精一杯の愛情表現なのだと思った

 

だけど、

その続きを読んだ時、

2人の中でのお互いへの愛情表現が

最上級の愛情表現が

君の膵臓をたべたい』だった。

 

あれは、彼らの告白で、

二人だけの間の

たった一つの唯一の愛情表現だ。

 

正反対のふたりが、

最後には全く同じ思考をした。

 

二人の間のつながることば、

それがこれなのだと思った。

 

一方的に伝える言葉ではなく、

二人のなかの

唯一ふたりが交わる言葉だった。

 

こんなに美しいものは無いなと

心の底から思った。

不思議な感覚だった。

まだ言葉に出来てるように思えないけど、

これ以上書いても言葉にならないのだろう

というのは、わかる。

 

素敵な本に出会えてよかった

 

 

 

 

倦怠期って難しい

 

いいパートナーってなんなんだろう。

 

私にはあと2週間で1年になる彼氏がいる。

 

私がこのひとと一緒になると決めたのは

初めて『一緒に』進めると思ったから。

 

正直今まで、

いい恋愛をしてきたと思っていない。

そのときは、

ちゃんと幸せだったというのは前提だけど。

 

主従関係の中で

隠し隠され 我慢し我慢され

の関係性だったから。

 

相手に嫌われないように

相手の好みの人間になれるように

相手の重荷にならないように

 

自分を作るのが恋愛だった

 

我慢が続くと笑顔がなくなり

気づいたら気持ちすら思い出せなくなり

別れていくのが当たり前だった。

 

初めてだった。

少しの我慢や隠し事はあるとしても

定期的にお互いに確認しあって

受け止めあって進めると思った。

 

私の中で初めてであった人。

 

倦怠期ってやつなのかな。

 

一度私達は別れた

2週間。短いようで私には何ヶ月にも感じた

 

気づいたら我慢を打ち明けられなくなり

相手を信じる心がなくなってたのかな。

 

振られたのはわたし。

 

復縁してから

今度は怖さが私を支配した。

 

またなにかしたら

不快に思わせたら

受け止められなかったら

離れていってしまうんじゃないか

 

その怖さが

勝手に私の中での主従関係を作った

 

我慢は長く続かなかった。

私にとって一緒に進める初めての人だから

なおさら。

 

相手を苦しめてしまった。

理解してあげることが出来なかった。

 

わたしは

自分が勝手にもった怖さから

相手を信じる気持ちを抑えていた

 

信じられていない相手を

信じるなんて難しい。

 

愛を感じられない相手を

愛するなんて難しい。

 

私がそれをしてしまって

いたのかもしれない。

 

『すきだよ』も

『愛してる』も

『離れていかないで』も

『ずっと一緒にいて』も

『ごめんね 』も

『ありがとう』も

 

全部今私がかける言葉、行動が

彼を苦しめて追い詰めてる気がする。

 

何をしてあげたらいいのだろう

何んて言葉を掛けてあげたらいいのだろう

私はどうしてあげることができるんだろう

 

わからなすぎて

ぐちゃぐちゃになった。

 

これも見たら追い詰めちゃうかな。

ごめんね。

わたしのわがままなんだ。

 

また明日

元気に笑えますように。

 

なにもなかったことなできなくても

二人でまた一緒に進めますように。

 

わたしは

ちゃんと愛すること。信じること。

受け止めること。自由にすること。

私がまずはしてあげることから

もういちどはじめたい。

 

がんばろ。

まっすぐきれいな思いを

また明日も持ち続けられますように。

じぶんを愛する行為

なんでこんなに虚しいんだろう。

今日になにがあったのだろう。

 

同志と話をした。

 

今日はなんだか元気が出ないねと話をした

二人で何かをやりたいと話した

何が出来るかわからないまま終わった

 

問題定義には時間をかけようといった。

言った瞬間言い訳だったと思った。

この人を失いたくないだけだと思った。

 

なんだかもやもやしたまま

3時間が過ぎた。

 

わたしはなにができるのだろう。

今のわたしには誰が救えるのだろう

ここで止まってしまっていいのだろうか

 

全てが点で

繋がらないような気持ちになった。

 

文化を変えるのは最終目標

人生の目標でいいじゃないかといわれた。

 

でも、世の中では常に誰かが

文化をつくっている。

 

早く変えねばならない。

私にはその勇気がない。

 

 

友人とご飯に行った

 

恋愛の話をした

愚痴ばかり出てきた

こんな自分が嫌になった

 

過去も今も

祝福できない自分が嫌だった

どこまでも

悲劇のヒロイン気取りだった

 

愛されていない気がした

愛されようと求めていた

わたしは愛せているのだろうか

いつか捨ててしまうんだろうか

いつか捨てられてしまうんだろうか

 

食事の話をした

 

私は摂食障害を経験している

普通の感覚が分からなかった

 

友人とその話で盛り上がれたことは

共感者ができたようでうれしかった。

 

わたしはいつになったら

この摂食から開放されるんだろうと思った

 

やめたくないと思ってる自分がいた

自分を醜いと思う思考は

いつまでも変わっていなかった

 

不器用だと言われた

 

その通りだと思った

感情表現はゆたかになった

昔は表現すらできなかったのに

ただ、ブレーキは今でもないのだと思う。

 

わたしは人に愛されているというのを

受け取るのが下手くそだと話をした。

 

今でも好かれていないと思っている。

それを人に言うことは、

ただのかまってだから嫌なのに。

私は彼女に言っていた。

 

帰り道

 

別の友人達とやりとりをしていた

 

友人の素っ気ない態度に

さっきまで話していたことがリンクした

 

わたしは愛されていない

 

彼氏のTwitterをみた

さっきまで話していたことにリンクした

 

わたしは愛されていない

 

 

ただ、それは

私が悪いのだとおもう。

 

どこかで自分がだした綻びが

わたしに返ってきただけ。

 

愛されるような人になれていない。

愛されるほどひとを愛していない。

大切にされるほど大切にしていない。

 

やりたいことをできてもなければ

愛されてもいない自分

 

自分でどう丸をしてあげたら

分からなくなっただけなのかな。

 

この感情を

明日からのエネルギーに

変えられることを祈って

おやすみなさい。

弱いから馬鹿になろう

わたしは弱い人間だと思う

 

周りの目は気にするし

自分が愛されない人間だと思ってるし

人と自分を比較するし

自分には価値がないと思っている

 

でもひとつ確かなことはあって

弱さをさらけ出せることは強さだと思う

 

強いね といわれることがある

こんなにも弱いのに。

こんなにも脆いのに。

 

きっと、いろんな弱さをひっくるめて

私は弱い と言えることは強さだ

 

私は自分の言葉が感情が人生が

誰かの言葉や感情や人生を

少しでも肯定するものになればいい。

 

弱くたって 怖くたって

生きていくと決めたのだから

この生きざまが誰かに勇気を与えられたら

それでいいのだとおもう。

 

何も出来てない自分

 

私にはどうしても譲れない想いがあり

生きる目的がある。

 

一人でも多くの人が

人生に意味を持って自ら選択して

幸せに生き、死ねることである。

 

ただ、

わたしはなにもできていない。

 

考えて悩むだけだった。

失敗を恐れているだけだった。

苦手だと言い訳しているだけだった。

 

なにかをしたい。

出来ることからでもはじめたい。

なにかをしなければ。

はやくやらなければ。

 

なんてわたしは愚かなんだろう。

1歩も踏み出さずに

夢を語るほら吹きやろうだ。

 

こういっている間にも、

どこかで誰かは生きる意味を失っている

自ら命を絶っているかもしれない。

 

その人の人生には

その人の意思で選んでいい道が

いくらでもあるはずなのに。

 

弱い自分

わたしは人と関わることが苦手だ

一つ一つ丁寧にすることが苦手だ

 

すぐに離れてひとりになろうとする。

そしてひとりは孤独だ。

 

ひとりになろうとしなくとも

そんな過去の自分から

贈られてくるプレゼントは

ひとりになった自分だったりする。

 

人ひとりを大切にできない人間に

世界を大切にすることも

信頼されることもないのだと思う。

 

わたしは

弱い自分をいいわけにして

どれだけたくさんの迷惑をかけてきたか

どれだけたくさんの思いを踏みにじったか

 

泣いている気がした。

私が受け取れなかった思いが。

受け取ろうとしなかった私が。

 

あぁ、ひとりだとおもった。

 

ひとり

ひとりだとおもった。

ばかをしようとおもった。

 

もう気にすることなんてなにもない。

ひとりなのだから。

 

誰に笑われたっていいかもしれない。 

ひとりなのだから。

 

ばかができるやつが、

新しい常識を作る。

 

ばかをする勇気を。