曖 昧 に 生 き ロ グ 。

か わ い く あ い ま い に い き ろ 。( 伝えるのは下手くそですが、見てくださってる皆さんのこととても感謝しています )

人に会うのが怖い

 

人に会うのが怖い。

 

自分が会いたいという

私の都合で相手の時間を

とってしまうこと

 

その分まで楽しませられる

自信がなにもない

 

 

申し訳なくて不安でしかたなくなる

 

 

申し訳ないとか不安とか

言うてる人と会いたいと思うわけない

っていうのもわかってるのに

 

 頭がそれに支配されてしまって

いま、そのまま元気なふりするのも辛い

そうなったら、会えば会うほど

相手に不快な思いをさせるし

また会いたいなんて思ってもらえるわけない

 

私はほんとうに

人を楽しませる力も

相手が求めてるものを与える力も

全然ないのに

 

ただ一緒に過ごしてくださいなんて

わがままであって、

また会いたいと思ってもらえることなく

終わっていくんじゃないかと思うと

 

 

私が好きな人に会うはずなのに

その度に大切な人を

失っているんじゃないか

自分のせいで

 

って思ってしまう。

 

怖い。怖い。怖い。

 

 

こうやって

人に会えなくなるんだなあ

って、思い知る。

 

 

人に会っていいような

人間じゃないのかなもしかして。

 

 

どうしよう。

今日はひたすらに不安だ。

おかしいと思う

(予め伝えておきます。長いです。

 そして、とても個人的な

 私が今回自殺未遂にいたるまでに

 どんなことがあったかが

 書かれているだけです。仕事上の話です。

読んで不快にならない方だけ、

読み進めてください。

なんなら最後の方だけ読んでもらって

あとは飛ばし読みで構いません。)

 

自分が被害者ヅラするのは

正直嫌いだ。

 

でもそれは

私がそれをする自分が嫌いなのか

それをすることは周りから見たら

批判の対象になり、

ダサく見えて、馬鹿に見えて、

かわいそうな思考しかできない子に

なるのが嫌なのかと言われたら、

圧倒的後者。

 

 

だから、今日はちょっと

被害者ヅラをおもいっきりします。

正直被害者ヅラしてる人って

見てて自分のことなんも反省してないとか

自分だって悪いとこあるのに

全部他責にして人のこと否定するだけで

自分はそこから動こうともしてないし

ただ嘆いてるだけでかっこ悪い。

と思っているのは私です。

 

私がそうしている人を見ると

心のどこかでそう思うんだと思う。

だから、これは

私の心の汚さでもあると思う。

 

 

 

私は自殺未遂をして、

うつ病を診断されて、

今休職中です。

 

今回こうなるに至ったのは

正直に言うと、

上司からのパワハラです。

 

学生の時から今にかけて

三年間新規事業の立ち上げからずっと

関わってきて、社会人一年目。

一年目だけど、事業は三年目。

私が事業に携わるのも三年目。

だから、他の一年目とは少し違って

即戦力で本業も新人業務もそっちのけで

新規事業の仕事をずっとしてきました。

その為の採用だから

本業も新人業務もするなと言われたくらい。

 

上司は二人。

私が入社した会社の人間ではなくて、

新規事業の立ち上げの時に、

社長のもともとの知り合いで

新規事業立ち上げに係わり

そのままアサインされた人たち。

 

一人は私も大学一年生のときから

お世話になっている人で、

その人に誘われて私もJOIN。

ただ、その人も自分で会社をもっていて

昔そこに関わった時も過度な仕事量や

もともと伝えていた時間外での労働

そして、そこに対して全て無賃

(もともとはお金を出すと言われていた)

などがあり、

精神的にしんどくなり、やめました。

そのときも自殺未遂したっけな。

今回はちゃんとした会社が

ついてるということで、

自分も三年前立ち上げ時に参画を決意。

 

もう一人は私の直属の上司。

新規事業二年目から入ってきた人。

もともと有名なメガベンチャー

社長と先輩後輩の関係。

そこから辞めてフリーランスとして

そういう会社時代の知り合いの伝や

そのときのクライアントの仕事で

生活をしているような人です。

 

 

正直関わる前から、

あの二人の下についたらしんどいことは

分かっていた。それでも選んだのは私です。

 

理由は、その新規事業が本当に好きだから。

私がやりたいことに直結すると思ったから。

そこて多くの人の変化や決断に立ち会ってきたし、

そこで出会った学生のメンバーが

今の私にとって一番大切な親友達だから。

 

そこの環境をなんとしても守りたかったし

そのためには、私は覚悟を決めようと思った。

 

だから、大学も卒業せず

中退して、異例の入社。

 

分かってて選んだから

私が悪いと思うけど、

私には選ぶ選択しかなかった。

 

大好きな事業で

大好きなメンバーがいて

大切なお客さんがいて

この人たちとこの事業を守るためには

誰かがあの人達の下で

あの人達とメンバーやお客さんのあいだを

なんとしてでもやり抜かないとって

思ってしまったから。

 

 

私の前にも

私が学生時代二人ほど社員さんが

その二人の下についた。

 

結果は

二人とも辞めさせられるように

転職していった。

 

上司は学生にも社員にも

その二人が仕事が出来ないと

散々悪口を言いふらし、

本人も休日返上で仕事させられ

精神的にもどんどん滅入っていく。

その姿を二年間見続けてきた。

 

次は私の番か。

って思った。

 

最初はうまくやってたと思う。

学生時代から、メンバーの統括もして

評価をあげて、意見もしてきた。

 

でも、社員としてあそこにたつのは

キツすぎたなあ。本当に。

 

 

新規事業で上司が二人。

二人とも自分の会社の人間じゃない。

かつ、オフィスにも来ないし、

ましてや、一人は東京にいる。

現場にいる社員は私一人。

 

そして、オフィスの人間はみんな本業

同期も一年目業務をしているのに

私にはそれが出来ないから、

オフィスにはどんどん居ずらくなる。

 

新規事業チームでは

ちゃんとした会社のメンバーは私一人。

私がちゃんと会社の事業にしなければ、

二人の独断でどんどん

うちの会社の考えや方針から

ずれた事業になっていく。

 

会社の中で、うちの新規事業への

期待値や本業への還元の期待もある。

その話は全部私に来る。

 

下には学生のメンバーが10人以上。

初期のメンバーで残っているのは

私を含めて三人だけ。

みんな、辞めさせられたり、

嫌になって辞めていった。

もうそんな人は今年は絶対作りたくない。

メンバーは私が守りたいと強く思った。

 

上司の二人は、

都合のいい時だけ

創設者とか代表って名前を自分たちに使い

責任を逃れたい時は、

私を責任者として人前に立たせた。

自分はあくまでこの会社の人間ではないし

ただの仲介、紹介、手伝いみたいな

関係ですよ、みたいな装い。

 

それでも情報もなにもなく、

そして、決定権も私にはくれない。

お前に決定権はない。といいながら、

都合よく統括だの、責任者だのという

言葉を私に向けてくる。

 

そして、当の本人たちは

現場にいないのだから、

結局メンバーの声も、現場の状況も、

社内のニーズも私に集まる。

 

上の二人は二人同士の責任の擦り付け合い

これが出来てない、あれができてないと

相手の仕事のあらばかりいいあって、

自分のこととなると、曖昧に濁し続ける。

 

そして、濁した部分の仕事を

お互いの見えないところで、

私に振ってくる。

できるわけが無い。そんな適当な注文。

 

ミーティングの雰囲気は最悪。

上二人が来る前は

メンバーが二人の愚痴をいう。

一人上司がくれば、

その人が私やメンバーに

もう一人の上司の愚痴をいう。

そして愚痴の中で

「お前らを否定はしてない」といいながら

「あの人ができてない仕事はお前らがやならいと行けないのになんで出来てないんだ」が

ところどころで露呈する。

 

そして、もうひとりが来れば

今度その人は、自分の仕事は棚上げで

メンバーや私、もう一人の上司に

なんも仕事が進んでいない。

なんでこんなことも出来ないんだ。

それはおかしいよ。頭が悪いね。

といって、ひたすらに否定して詰める。

 

そして、ミーティングが終わる頃には

私とメンバーに二人がギリギリにだした

予想も、計画もまるでない

付け焼き刃の仕事を大量に振られる。

 

計画がないから、

ものすごく近い期限まで

問題をほおっておいて、

それまでなんどこちらがいっても

話をとりあってくれないくせに

ギリギリになって、できてないことを

私たちのせいにして、

とても終わらせられる目標ではない

数値と仕事量をふる。

無理なんて言うことを許さない。

そして、また次の週に

同じことが繰り返される。

 

 

私の場合はそこに加えて

メンバーがいる目の前での罵倒や

過度な仕事の押し付けが毎回入る。

深夜23時に、明日の朝までにこれをしろと

LINEで仕事を送られてくる

こっちの身にもなれ。

 

無理ですと、時間の問題、

仕事のルールの問題、睡眠、など

伝えたとして、も

それでも無理強いをしいられる。

さすがにLINEスクショした。

 

昔言われて、恐怖だった言葉は

上司からの指示に従わないのは

職務放棄に値するから、

お前のことをやめさせることもできる。

俺がしているのは、業務命令だ。

と言われたこと。

 

職権乱用じゃね?

言えなかったけど。

 

何度も泣いたし

他の社員(役員層)に泣きながら

相談したこともある。

 

でも、どれもすぐの解決策はでないし、

おまえはがんばってるよって

その場で認められて終わり。終わり。

 

その人達は社員ではないけれど

社長とかなりの長い付き合いで

誰も正直口出しできない部分もあるし

本人達の性格上、聞かないし

威圧的で高圧的だから

そりゃ話にならないのだとも思う。

 

体調に異常が見られるようになって

メンバーからの批判も相次いで出てきて、

さすがにこれは、なんとかしようとか

私がどうにかって問題じゃないって

法務や人事の人に相談をして

どうにか組織に手を入れてもらおうとした。

 

でもそれも結局ダメだった。

社長は優しすぎて

(本当の優しさではないと私は思う)

あいつらも大変だから

理解してやってくれっていうのが

私に対する言葉だったし

 

 

当の本人たちは

しんどくさせているのは

もう一人の上司だと言わんばかりに

私に対してもう一人の愚痴を言うか、

 

おまえはもともとそういう障害だから

仕方ないよ。在宅にしようか?

とかいう始末。

 

あの頃の私は思考的にも

かなり偏っていたから

もう自分が問題の根源で

私がいなくなれば

案外幸せか不幸せかはわからないけど

どうにかなっていくのではないかとか

 

どうせ自分がいなくなっても

なんとかまわっていくものだし

私一人のためにここまで足掻く必要性あるの?

とか  

 

正直自分の命をなげうってまで

この人達が作ろうとしている

事業を守る意味がわからなくて

 

もうこの人たちがいる以上

この事業はおわっている。

私には変えられない。

じゃあもう潰れてしまえばいい。

 

そう思ったから

もう十分生きたし、頑張ったし

もう、これで終わりにしようと。

最後にメンバーやお客さんが関わる

仕事を処理をしてから

自殺を図った。

 

 

 

おそらく、その二人は

この事業からは外されるし

会社からもいなくなるのかな?

わからない。

 

とりあえず私は

そうでなければ戻る気はないと

つたえている。

 

訴えればいいのかもしれないけど、

訴える過程であの人たちに関わるのすら

もういやだ。

 

だから、親にも仕事でこんなことが

あったとは一言も言っていない。

 

私は中退して、この事業をやったこと

会社に入ったことには後悔してない。

 

でも、きっと、こうなったいま

周りの人はその私の選択すら

否定するんじゃないかと怖くて

応援してくれていたのに、申し訳なくて

だから、言えずにいるんだと思う。

 

 

ただ、本当に

言っても仕方ないことだけど。

 

 

私はきっとこれから先も

仕事をしていくことが怖い。

上司が怖い。

働くことも上司や部下を持つことも怖い。

 

今回のこと、

言われてきたこと、されたことは

私の中で一生残る。

一生怖い。どこかで繰り返される。

 

怖い。

 

 

だけど、あの人たちは

例えこの仕事から外されたとしても

どうせほかの今までのつながりの中で

生きていくことが出来て、 

 

どうせ、たった一回の

ちょっとしたミスくらいに終わったり

それこそ、私たちのせいにして正当化して

周りに言ったりするかもしれない。

 

そして、家族もいて子供もいて

友人もいて、慕ってくれる学生がいて

そこにマウントを取りながら

今まで通り自分の価値も落ちず

のうのうと幸せに生きていくんだろ。

 

 

なんであんたらが

今まで通り生きて、

あんたらに苦しめられた人が

こんな風に生きなきゃいけない。

 

こんなのおかしいだろ。

 

 

たしかに私は自殺未遂だけど

からしたら二人は

私の殺人未遂容疑者同然だよ。

 

 

別に不幸になれば満足するのか

そんなこと知らないけどさ。

  

 

こんなんおかしい。

私の幸せと日常を返して欲しい。

返して欲しい。

 

 

 

 

 

 

自分が分離する

 

 

一人で生きていこうとするなよ

と今日友人に言われました。

 

一人で生きていこうとしてたのかなぁ。

というか

人と共に生きるって

どんな感覚なんだろう?

 

昔から自覚があるのは

人に自分から関係性を決めたり

誘ったり頼ったりが出来ない。

相手に自分の意思を通せない。

 

あ、うん、それがいいなら

そうしようか。みたいに、

みんなはなにがいい?どうしたい?

私もそれで大丈夫だよ。

って気づいたらしてる。

 

自分なんかの意思で

みんなを動かしてしまうなんて

人を動かしてしまうなんて

ってそんなふうにおもってるんかなあ

 

私はセンスもないし、

可愛さもないし、

ノリもそんなに良くない、

面白いことも言えない。

 

だから、みんなの選択をみて

みんなの反応を見て

ああ、こういうパターンは

こういうことゆーとったほうがいいのか

みたいな感じで、

無難な反応と選択を増やす。

 

それがいきすぎると

なにも自分から言葉を言えなくなったり

頼ることも出来ず一人で孤独に埋もれたり

自分だけがひとりみたいに感じで

身動き取れなくて自分が苦しくなる。

 

少し克服しようかなあって思ってね

少しそう思ったから、

やってみようと思ったりもしたけど

 

誘うってことのハードルが高くて

なんかすごく怖くて気持ち悪くて

自分じゃないみたいで

外に出る気力までなくなってしまう。

 

自分が人を誘って

わがままをいって

自分で予定を決めて

自分から関係性を決めて

って自分を想像すると

少し吐き気がする。

 

 

そうなりたいって思ってるのか、

そうなったらやだとかなりたくないって

思ってるのか正味わからん。

これまた自分の気持ちがわからん状態。

 

自分がしんどくないように、

一人で勝手に1人だって極め付けたり

誰にもなにもしてはいけないって

決めつけるのは止めたいかもしれん。

 

んで、誘いたいなあとか

一緒におりたいなあって思った時に

ちゃんと自分の意思を示せるようになりたいし

今日はそういう気分じゃないなあとか

そういう時に断ったらもう誘われないかも

とかそういうのなしに、意思を示したい。 

 

 

 

でもどおしても

私と一緒におることに

価値を感じてくれるような人がいるわけ

っていう思考が止まらないんだよなあ。

 みんなが優しいだけな気がしてしまう。

言葉になんて出来ないもんなんやろうと

頭ではわかってるけど

ちゃんと自分で認識したいから

証拠になる言葉と行動を求めてしまう。

これは私のめんどくさいとこだね。

  

 

んんん

人に自分からアクションをおこすって

どんな感覚なんだろう?

 

できるんかな、私に。

虚無?

 

自分の虚無の扱い方がわからない。

 

突然ふと虚無がやってくる。

でも実はずっと横にいて

それを見ないように

誰を隣に呼んで過ごしているから 

 

誰かがいなくなった時に

否が応でも隣の虚無が騒ぎ出す。

 

 

誰かといることで

虚無が埋められている気になって

元気をもらえているような

気持ちになるけど、

 

最近では、

元気になるから誰かといたはずが

元気を装う様になってきた気もする。

 

一緒に居るのに

心が落ち着かず

言いたいことも言えず

1人な気がして

誰かといる時から

虚無がうるさくなる。

 

元気がないなんて言えないのですわ。

言ったら隣に来てくれなくなる気がして

だから何も言えなくなるの。

 

みんなの中には

きっと会っている時の

元気な私が残り続ける

 

それを望んでしているはずなのに

そこにどうしようもなく

悲しくて寂しくて苦しくなる。

 

 

やっぱり私はどこに行きたいんだろう?

自分の立っている場所

 

異常と正常のどちらにも

自分を決められなくて

決められなくなくて

ただ漂うに生きてるようだと思った。

 

必死にみんなの中にはいって

普通を装って

おかしい自分を過去のことにして

今は変わったのだ

少しだけ感じやすいだけ

と思うようにもした

 

世界で1番自分が不幸みたいに装うな

誰だって心に闇はあるのに

自分にしかそれがないみたいに言うな

って、友達たちに言われた。

 

そうやって

自分をおかしいとか病気ってくくって

安心していたいだけだろ。

逃げてるんじゃないのか。向き合うことに。

って、言われた。

 

私もいつしか自分のことを

そう思わないといけないのだとおもった

悲劇のヒロインを気取ってるような

自分がとてもとても嫌いだったし

ただ、自分がその自分が嫌いなのか

それが世の中的には嫌われる行為だから

それをしている自分が嫌いなのかは

今でも分からない。

 

周りの人が

病気や障害で私を捕えずに

まき として 見てくれることは

すごくすごく嬉しかった。

決めつけられない。迫害されない。

それでもまきはまきだと言ってくれる。

 

同時に、

そういってるだけで、

本当の私は理解されないのではないか。

見せたら、幻滅されるんだろうな。

とおもって、怖さや寂しさも覚えた。

 

 

逆に

障害だから仕方ないよな

と言われることはすごく嫌だった

どんなことでもというよりは

今この場で起きていることは

私が悪いんだというにゅあんすで

私の障害を引き合いに出されるのが

とてつもなく嫌いだった。

 

ただ、同時に

普通の人ならこれするの普通なんじゃないの?

と、誰も決めていないような

普通を押し付けられたり、

私の考えはおかしいと言われることも

とても嫌だった。

 

そういう時には

ちゃんと私の障害をしってほしいと願い

ただ、障害で私を判断しないで

決めつけないでほしいとも願った。

 

正直どれも

自分をよく見てもらいたいだけなんだろう

って今になって書きながら思った。

 

障害の悪い部分で私を判断しないで

でも、私がなにかしてしまった時は

障害を考慮に入れて理解して欲しい

 

そんなわがままを

私一人が言ってるんじゃないかって

おもった。

 

 

昨日医者に行って

休職期間がのびた。

 

 

正直なにも悲しくなかった。

ああ、私ちゃんと

自分で決めつけてるのでもなく

自意識過剰なわけでもなく

今はちゃんと異常なんだ

ってどこかで安心した。

 

 

自分が病気なんじゃないかと思えば

誰だってしんどいときはあるよ

私もそう思う時あるよ

と、それを認めることもできない。

 

でも、普通に生活しようもしても

どうしても、みんなのように

うまく生きれない自分が不甲斐ない。

 

そうやって

どちらにいる自分も肯定できずに

自分がどこに立ってていいのかも

分からなくなっている気がする。

 

 

今でも。

 

普通になるって

どんなことなんだろう。

 

私はでも

普通になりたくないな。

 

ただ、

ちゃんと、生きれるようになれれば

いいかな。

幸せを感じられて

悲しみを消化出来て

そうやって生きていけるように

なれるなら、まだ生きてみたい。

 

 

自分くらいは

自分がどこに立っているのか

どこに立っててもいいのか

どこに立ちたいと心の中で

思っているのかを理解してあげたい。

 

 

まだ、わからない。

夢の続き

 

私にとって

この人生は夢の続き3回目みたいな

人生だったりします。

 

初めて自殺未遂をしたのが

15才、中3の2月

 

2回目が

20才、大学2年の冬

 

そして3回目が

23才、社会人1年目の7月

 

 

高校生になったくらいの時には

1度捨てようとした命が

残ったことによって続けられている

夢の続きのような時間だと

そんな認識をしていました。

 

 

夢の続きで生きさせてもらってるんだから

自分の好きな生き方をしてもいいよね

それでダメだった時は

夢を終わりにしたらいいだけだから。

 

そんな感覚で生きてきた気がします。

 

 

ここ数日

心を許せる友人達に

自分から連絡をとって

何人か続けてあってみたんです。

 

その人達はみんな

私の病気のことも過去のことも

腕のリストカットの傷のことも

全部知っている上で

 

半袖で私に外を歩けるようにまで

してくれた人達でした。

 

 

「自殺未遂して休職中なんだ」

って、

打ち明けることが怖くて怖くて

仕方なかった私に対して

 

「あ、そうなんや」

「ちなみに、どうやるん?自殺未遂って」

みたいな

ただの友達の雑談みたいに

昨日の続きみたいに

何もなく話をしてくれる友人達に

正直面食らったし

なんか、気にしてる自分がアホらしくて

すごいなこの人たちって思った。

 

 

またそうやって自分から傷つきに行って

なんで自分のこと大切にしないんだ

なんて言われてきたし

そんな風にみられるんだろうって

思ってた私に

 

「まきの生き方はまきの生き方で

 確かに、傷つく自分は守れてないとしても

 自分の生き方を曲げずに貫いてる。

 それも充分すぎるくらい

 自分を守ってることにならないの?」

ってあっけらかんと言ってくれるし

 

「今の生き方のままでいいんじゃないの

 それで、傷だらけになってるまきのこと

 また、まきらしいことしてるねって

 愚痴でもなんでも聞ける人がいるじゃん」

って言ってくれるし

 

「俺らは別に死にたいって言われて

 死ぬ死ぬ詐欺だとも言わないし、

 死ぬなよなんて言う訳でもないやん

 そんな人間まきの周りにおらんやろ?」

って言ってくれたし

 

「死にたいってなってるまきも

 すげー楽しそうに生きてるまきも含めて

 その高低差の中生きてるまきの生き方が

 俺は面白くて好きだから、

 俺がそれを見ていたいっていう

 俺の娯楽に付き合うために生きてくれよ

 位はいうかな」

とか馬鹿みたいなこと言うし

 

「せめて死ぬなら最後におもっきり

 盛り上がる晩餐しようや。

 次は呼んでくれよ」

とか言うし、

 

「まあ、リスカで死のうとしてて

 風呂場血だらけとかだったら

 さすがにくるけどさ。

 別にまきのその現場に立ち会ったからって

 トラウマにもならんわ」

とか言うし

 

「いや、まきがいうそれって

 普通の人たちとか

 普通の関係の相手に対するもんやろ。

 そもそも、俺らの関係異常やろ?

 誰がリスカの傷見て

 おもしれーって触るかよ(笑)

 その時点でもう、その、

 まきの普通に入ってないんだって(笑)」

とか言うし、

 

なんなんだこの人たちって思った。

なんなんだよ、この人たち。

 

なんでそんなことゆってくれるんだろう。

 

 

多分本当に

私は今こうやってこの人達に

囲まれていきれてることが

夢の夢の夢みたいなんだよね。

 

ほんとにほんとに

おかしいくらい、

おかしい、人生なんだろうな。

 

夢の続きで

こんな幸せ味あわせてくれて

ありがとう。

 

 

あなた達がいなかったら

きっと私は

もうこの世界にはいないんだろうって思う。

 

みんなに生かしてもらってたんだな

そんでこれからも、

生かしてもらうんだろうな。

 

勝手に私ひとりで

一人ぼっちだって、思い込んでごめん。

 

勝手に私ひとりで

誰もわかってくれないなんて

思い込んでごめんね。

 

 

まだまだきっとそう思って生きていくけど

みんなから受取った、受け取ってるものは

たしかに私の中に残り続けると思う。

 

ほんとうに

ありがとう。

言えません。

 

生きることを強要しないで

 

と最近よく思う。

 

 

私は被害妄想がすぎるから

誰に言われた訳でもないのに

突然、周りの人から

何か言われているような気がしてしまう

 

昨日ふと思ったのは

そんなんで死にたいとか思ってんなよ

そんなことで死のうとしてるなんて

馬鹿らしい

そんなふうに思われてんだろうな

っていう思考だった。

 

みんなそれぞれがそれぞれの

生きにくい悩みをもってることくらいしっている。

その悩みがなにかは知らないし、

その重さもわかることはできないけれど。

誰かには誰かに理解できないほどの

悩みをもちながら生きていることは分かる

 

 

そんなひとたちから、

その程度のことで死のうと思うな

みんな死んだら楽かもっておもうことも

死にたいって思う経験もある

それでも、生きてるんだから

お前もそんなことで死のうと思うなよ

って言われている気がした。

 

 

わたしにとっては

生きることがなによりもの善で

死ぬことがなによりもの悪という

その思考は理解できない。

 

生きることを善としている人の

生きている理由や

生きる希望はその人にとっての理由であり

 

その理由と同じ理由が

私の生きる希望にも

生きる理由にもなり得ないのだ。

 

 

私は私なりの

生きる理由と希望が必要で

それを周りから持つことを強制されたり

生きることを強要されるのは

決して違うのだと思う。

 

 

生きる理由と死ぬ理由があったとして

それが耐えず人の中では

それぞれ何%かの割合で存在しているのでは

ないだろうかと思う。

 

生きる 100  死ぬ 0 の人は

いるのだろうか。わからないけど。

 

生きる100 ~ 生きる 75 位までが

「生きるって楽しい!」「生きたい!!」の

人々な気がしていて

 

生きる 75 ~ 生きる 50 位までが

「なんで生きてんだろうな」

「辛いけど、生きてりゃいいか」の

人々な気がする

 

生きる 49 ~ 生きる 25 くらいの人が

「死にたいなぁ」

「なんで生きる必要があるんだろう」の

人達で

 

生きる 24 ~ 生きる 1位の人が

「どうやって死のう」

「死んだ方が幸せだ」って思う、

 

生きる 0 になったとき

満を持して「死のう」と思う。

死ぬことがなによりも幸せな選択になる。

 

 

私は元気な時でも

50 50 くらいのところを

反復横跳びしながら生きてる

 

死ぬという選択肢が

いつも生きると同じくらいの選択肢として

目の前に存在している感覚がある。

 

 

だから、生きるがぜったい善で、

死にたいなんて 

ほんとに思ってないけど

たまに選択肢にチラついたりするよね

みたいな感覚はあまり分からない。

 

 

選択肢に入らない人にとっては

生き地獄のような毎日で

逃げ道がなくて

それはそれでしんどいのかな

なんて想像したりもする。

 

 

死ぬって選択肢があるんだから

生きるなら好きに生きようかな

って割りきれたりするだけで

 

 

生きる ことが 絶対で

生きなきゃいけなくて

生きてればそれでいいなんて

そんなこと口にもできない。

 

 

私が生きててよかったって

ゆってくれるそのひとは

その人がよかっただけで、

 

例えばそれでも私が死んだとして

それであなたは死なないでしょう

あなたの生きる理由が私ではないから

あなたなりの生きる理由があるから。

それでいいんだとおもう。   

 

 

だからこそ、

あなたがよかったとおもうから

あなたが悲しまないからという理由で

私をいきさせようとするのは

やめてほしいと思うのです。

 

 悲しむ人がいるから死なないという

理由で生きることは、

生きるということではなく

死なないということでしかない

 

それこそ生き地獄だと思う。

 

 

 

生きていることが

絶対的に正しいから

死にたいなんて言うなよ

死ぬなんて言うなよ

俺だって苦しいけど生きてんだ

 

なんて、

私は言えない。言えません。

 

あなたが幸せな選択をすればいいんじゃない。

そう思います。