曖 昧 に 生 き ロ グ 。

か わ い く あ い ま い に い き ろ 。( 伝えるのは下手くそですが、見てくださってる皆さんのこととても感謝しています )

倦怠期って難しい

 

いいパートナーってなんなんだろう。

 

私にはあと2週間で1年になる彼氏がいる。

 

私がこのひとと一緒になると決めたのは

初めて『一緒に』進めると思ったから。

 

正直今まで、

いい恋愛をしてきたと思っていない。

そのときは、

ちゃんと幸せだったというのは前提だけど。

 

主従関係の中で

隠し隠され 我慢し我慢され

の関係性だったから。

 

相手に嫌われないように

相手の好みの人間になれるように

相手の重荷にならないように

 

自分を作るのが恋愛だった

 

我慢が続くと笑顔がなくなり

気づいたら気持ちすら思い出せなくなり

別れていくのが当たり前だった。

 

初めてだった。

少しの我慢や隠し事はあるとしても

定期的にお互いに確認しあって

受け止めあって進めると思った。

 

私の中で初めてであった人。

 

倦怠期ってやつなのかな。

 

一度私達は別れた

2週間。短いようで私には何ヶ月にも感じた

 

気づいたら我慢を打ち明けられなくなり

相手を信じる心がなくなってたのかな。

 

振られたのはわたし。

 

復縁してから

今度は怖さが私を支配した。

 

またなにかしたら

不快に思わせたら

受け止められなかったら

離れていってしまうんじゃないか

 

その怖さが

勝手に私の中での主従関係を作った

 

我慢は長く続かなかった。

私にとって一緒に進める初めての人だから

なおさら。

 

相手を苦しめてしまった。

理解してあげることが出来なかった。

 

わたしは

自分が勝手にもった怖さから

相手を信じる気持ちを抑えていた

 

信じられていない相手を

信じるなんて難しい。

 

愛を感じられない相手を

愛するなんて難しい。

 

私がそれをしてしまって

いたのかもしれない。

 

『すきだよ』も

『愛してる』も

『離れていかないで』も

『ずっと一緒にいて』も

『ごめんね 』も

『ありがとう』も

 

全部今私がかける言葉、行動が

彼を苦しめて追い詰めてる気がする。

 

何をしてあげたらいいのだろう

何んて言葉を掛けてあげたらいいのだろう

私はどうしてあげることができるんだろう

 

わからなすぎて

ぐちゃぐちゃになった。

 

これも見たら追い詰めちゃうかな。

ごめんね。

わたしのわがままなんだ。

 

また明日

元気に笑えますように。

 

なにもなかったことなできなくても

二人でまた一緒に進めますように。

 

わたしは

ちゃんと愛すること。信じること。

受け止めること。自由にすること。

私がまずはしてあげることから

もういちどはじめたい。

 

がんばろ。

まっすぐきれいな思いを

また明日も持ち続けられますように。

じぶんを愛する行為

なんでこんなに虚しいんだろう。

今日になにがあったのだろう。

 

同志と話をした。

 

今日はなんだか元気が出ないねと話をした

二人で何かをやりたいと話した

何が出来るかわからないまま終わった

 

問題定義には時間をかけようといった。

言った瞬間言い訳だったと思った。

この人を失いたくないだけだと思った。

 

なんだかもやもやしたまま

3時間が過ぎた。

 

わたしはなにができるのだろう。

今のわたしには誰が救えるのだろう

ここで止まってしまっていいのだろうか

 

全てが点で

繋がらないような気持ちになった。

 

文化を変えるのは最終目標

人生の目標でいいじゃないかといわれた。

 

でも、世の中では常に誰かが

文化をつくっている。

 

早く変えねばならない。

私にはその勇気がない。

 

 

友人とご飯に行った

 

恋愛の話をした

愚痴ばかり出てきた

こんな自分が嫌になった

 

過去も今も

祝福できない自分が嫌だった

どこまでも

悲劇のヒロイン気取りだった

 

愛されていない気がした

愛されようと求めていた

わたしは愛せているのだろうか

いつか捨ててしまうんだろうか

いつか捨てられてしまうんだろうか

 

食事の話をした

 

私は摂食障害を経験している

普通の感覚が分からなかった

 

友人とその話で盛り上がれたことは

共感者ができたようでうれしかった。

 

わたしはいつになったら

この摂食から開放されるんだろうと思った

 

やめたくないと思ってる自分がいた

自分を醜いと思う思考は

いつまでも変わっていなかった

 

不器用だと言われた

 

その通りだと思った

感情表現はゆたかになった

昔は表現すらできなかったのに

ただ、ブレーキは今でもないのだと思う。

 

わたしは人に愛されているというのを

受け取るのが下手くそだと話をした。

 

今でも好かれていないと思っている。

それを人に言うことは、

ただのかまってだから嫌なのに。

私は彼女に言っていた。

 

帰り道

 

別の友人達とやりとりをしていた

 

友人の素っ気ない態度に

さっきまで話していたことがリンクした

 

わたしは愛されていない

 

彼氏のTwitterをみた

さっきまで話していたことにリンクした

 

わたしは愛されていない

 

 

ただ、それは

私が悪いのだとおもう。

 

どこかで自分がだした綻びが

わたしに返ってきただけ。

 

愛されるような人になれていない。

愛されるほどひとを愛していない。

大切にされるほど大切にしていない。

 

やりたいことをできてもなければ

愛されてもいない自分

 

自分でどう丸をしてあげたら

分からなくなっただけなのかな。

 

この感情を

明日からのエネルギーに

変えられることを祈って

おやすみなさい。

弱いから馬鹿になろう

わたしは弱い人間だと思う

 

周りの目は気にするし

自分が愛されない人間だと思ってるし

人と自分を比較するし

自分には価値がないと思っている

 

でもひとつ確かなことはあって

弱さをさらけ出せることは強さだと思う

 

強いね といわれることがある

こんなにも弱いのに。

こんなにも脆いのに。

 

きっと、いろんな弱さをひっくるめて

私は弱い と言えることは強さだ

 

私は自分の言葉が感情が人生が

誰かの言葉や感情や人生を

少しでも肯定するものになればいい。

 

弱くたって 怖くたって

生きていくと決めたのだから

この生きざまが誰かに勇気を与えられたら

それでいいのだとおもう。

 

何も出来てない自分

 

私にはどうしても譲れない想いがあり

生きる目的がある。

 

一人でも多くの人が

人生に意味を持って自ら選択して

幸せに生き、死ねることである。

 

ただ、

わたしはなにもできていない。

 

考えて悩むだけだった。

失敗を恐れているだけだった。

苦手だと言い訳しているだけだった。

 

なにかをしたい。

出来ることからでもはじめたい。

なにかをしなければ。

はやくやらなければ。

 

なんてわたしは愚かなんだろう。

1歩も踏み出さずに

夢を語るほら吹きやろうだ。

 

こういっている間にも、

どこかで誰かは生きる意味を失っている

自ら命を絶っているかもしれない。

 

その人の人生には

その人の意思で選んでいい道が

いくらでもあるはずなのに。

 

弱い自分

わたしは人と関わることが苦手だ

一つ一つ丁寧にすることが苦手だ

 

すぐに離れてひとりになろうとする。

そしてひとりは孤独だ。

 

ひとりになろうとしなくとも

そんな過去の自分から

贈られてくるプレゼントは

ひとりになった自分だったりする。

 

人ひとりを大切にできない人間に

世界を大切にすることも

信頼されることもないのだと思う。

 

わたしは

弱い自分をいいわけにして

どれだけたくさんの迷惑をかけてきたか

どれだけたくさんの思いを踏みにじったか

 

泣いている気がした。

私が受け取れなかった思いが。

受け取ろうとしなかった私が。

 

あぁ、ひとりだとおもった。

 

ひとり

ひとりだとおもった。

ばかをしようとおもった。

 

もう気にすることなんてなにもない。

ひとりなのだから。

 

誰に笑われたっていいかもしれない。 

ひとりなのだから。

 

ばかができるやつが、

新しい常識を作る。

 

ばかをする勇気を。

 

社会的と人間らしさ

 

 

おひさしぶりです👶

外に発信できる形で頭の中を言葉にしていきたいなと思って、

また定期的に復活していこうと思います(-ω-)/

 

目指すは2日に1回更新。←

少しずつ、自分の今までと、これからについても

発信していって、いずれは事業についてメインで更新できればいいな。

 

社会的人間 = 人間 - 人間味

最近こんなことがありました。

団体の中で、メンバーのモチベーションの差やコミットの差が話題になり、

経営陣としては、人を切ることまで考えなければいけないな。と。

 

そんな中、メンバー全員で自己開示のコンテンツを行いました。

自分の過去や、みんなに伝えられていないことなど、

全部吐き出すようにお互いに話をしました。

 

その後、メンバーの間の信頼関係が驚くほど強くなったんです。

ああ、この人たちと一緒に仕事続けたいなって本当に思う瞬間でした。

 

その反面、

「経営陣に関わらせてもらってる自分としては、

ここで自分自身の感情は消して、決断しなきゃいけないのかな」と。

 

その時思ったんですよね。

businessとか会社とか社会とかって、

こうやって人間らしさが失われていくんだなあって。

 

社会性とか、規律とか、人に迷惑かけないとか

そういう話をする中で、

徐々に人と人との間の柔らかいものが、許されなくなるのかと。

 

なおさら、社会にでることが嫌になってしまいました。

私は、組織的思考や経営的判断が必要だとわかっていながら、

そうしたくないと心の底から思います。

 

人間らしさで、人同士のつながりと支えあいで

作っていける組織や会社を心の底から作りたいと思うのです。

 

でも、今までの組織経験の中で、

その思考はしてはいけないのだと決めつけてしまいました。

人間らしさには歯止めがきかず、組織がゆるくなり続けるのも事実でした。

 

社会的人間になるためには、

人間らしさを捨てる合理性が必要なのでしょうか?

 

にんげんらしさってなんだ

その一件があってから、

「人間味」「人間らしさ」と「社会」の乖離に敏感になりました。

 

・決まり切ったきちんとしたものは人間味がない。

 むしろ規律を少しくらい逸脱してしまうところに人間味がある。

 ex.何もゴミ一つ落ちていない道路は機械的

   でも、道端に吸い殻一つあるだけで、ほっこりしたりする。(私は)

 

・完璧にふるまうひとは人間味がない。

 弱みだらけの人ほど人間らしい。

 

・常識や社会からの評価によって、人は縛られ人間らしさがなくなる。

 ex.社会人と学生の関係性に「会社」を持ち込まないと、

    遊んでいると、指摘されかねない。

 

これらから、一つ考えたのは、

今の社会の中で人間らしさは、

きちんときまりきったことをできないこと。

なのかもしれません。

 

ロボットやデジタルが流通する世の中で、

きちんとシステマチックにすることはもういとわない時代です。

だからこそ、きちんとしている人はロボットのようなのです。

ミスばっかりだったり、感情で動く人だったり、

ちょっとルール違反するくらいが、人間らしさなのかもしれません。

 

ただ、それを言い訳に、

取り返しのつかない罪を犯す人もいるので、

(最近話題のDeNAさんとか...)

余計に、人間らしさを奪うように規則が厳しくなるのでしょう。

 

人間らしさとは、自分たちで自制心をもって

ある程度おさえることができなければ、

どこまでも悪くなっていくのです。

技術の更新が倫理的問題になっているのも

ある意味、人間の性に研究者が従ったという人間らしさのあかしなのです。

 

自分達は、人間らしさという言葉に甘えず、

自制心を持ったうえで、許容範囲内でエラーを起こしながら、

そんなこともあるよねって

みんなで言い合いながら生きれることが幸せなのかもしれません。

 

 

伊坂幸太郎という世界

最近読んだ本の話。

死神の精度

 伊坂幸太郎の「死神の精度」

 まさかの石橋⇔河原町の電車往復間で1日で読み終わるっている。

 めっちゃくそ面白いんでお勧めします。

 

 千葉という死神の人目線で人間を見ているお話で、

 事故死は大体この死神さんたちの管轄らしくてですね、

 突然現れて1週間その人の調査をして、可(つまり死んでよし)か

 先送り(寿命まで生きてよし)かを判断するのだそう。

 

 その人が出会った5人の人生のほんの一瞬のお話し。

 読んだことない人いると思うし、ネタバレは致しません。(たぶん)

 

 単純にすらすら読み進めちゃうくらい

 その世界に引き込まれていく感じが伊坂さんの大好きなところ。

 

 今まで読んできた伊坂さんの作品もいくつかあって

 重力ピエロ、グラスホッパー、チルドレン(今再読中)とか、

 なんというかわたしは自分語をよく使うタイプの人間で、

 同じように自分語を使っている人の世界観に浸るのがもう大好きなんすよ

 

自分語

 いわゆる、自分なりにちゃんとその言葉の意味・背景を持って

 言葉をつかうってことなんだけど。

 

 それぞれの単語って気づいたら、誰かが使ってた言葉を

 いつのまにか当たり前に使っていて、

 その言葉ってどういう意味なの?って考えてないことあるよね。

 

 たとえば、「りんご」だって、

 ひとつとして同じ背景でその言葉をつかっていることはないのでは。

 自分が小さい時に初めておいしいっておもった果物としてリンゴって

 すごい思い入れをもって印象に残ってる人もいれば、

 なんとなく、リンゴという果実を何も考えずに使う人もいる。

 

 前者の人間が大好きなんです。

 それが、単語から文章になると、もう本当に

 その人だけのその人わーるどが ぶわぁああって広がってて、

 どんな目線でどんな価値観でどんなふうに世界を切り取っているのか。

 そんなことに思いをはせてしまうタイプの人間です。コマツは笑

 

 その点、やっぱ文学作品を書いてる人は、

 それぞれの見ている世界や、自分語が自然と文章からあふれ出てくる感じが

 すきでたまらんです。

 

 昔の人も結構好きで、太宰治とか芥川龍之介とかw

 私には文章からでは知りえないくらいどっぷりと深いものを感じて

 その人の世界に気づいたら圧倒されていくあの感じ。

 

 これだから小説読むのってやめられない。。。はぁ。。。

 

 

 

 ただただ、そんなぼやきでした。笑

 

ごあいさつ

どうもこまきです。

 

ぼやきます。

 

たぶんマジで気分屋更新になりますが、

なんとなーく思ったことがあったときには

こういうところに言葉を紡いでおこうかなと思っております。

 

ゆったりまったりおさんぽ気分でやっていくので

みなさんも、道端で突然出会った気分で

思いのままにふらふらしてってください。