曖 昧 に 生 き ロ グ 。

か わ い く あ い ま い に い き ろ 。( 伝えるのは下手くそですが、見てくださってる皆さんのこととても感謝しています )

君の膵臓をたべたい

ある本を読みました。

 

君の膵臓をたべたい』 

双葉社 住野よる

 

あ、ちなみに、

ネタバレ覚悟で私が感じたことを書きたいだけなので、内容知りたくない人は読まないでね( ˙o˙ )

 

時系列の不思議さ

 

はじめに読み始めた時、

最後の結末から話を持ってきているのかと思った。

 

そして、その不思議さを埋めていく話。  

そう思って読んでいたので、

答えが見えている気がしながら読んだ。 

 

ところが、それは、 

クライマックスよりも全然手前で、

あれよあれよと見えてくる新しい真実に

最後は泣かずにはいられなかった。

 

ぶっちゃけ最初に思っていたのは、

膵臓の病気の彼女に恋した男の子が

彼女の死を前に伝えられなかった気持ちに

最後にようやく気づいた気持ちに、

後悔していくような結末なのかなと。

 

そんな、読者にとっても当たり前の、

余命宣告を受ける彼女は、

そのまま真っ当に最後を迎えるという

最後の日まで明日は来るという常識を覆された。

 

つくづく人というのは、

どの人にも同じ確率で訪れる死というものの

感覚がはてしなくゆるい生き物なのだと実感した。

登場人物からもおもったが、 

話の展開を信じていた自分からも

それを感じずにはいられなかった。

 

名前

この本には

話のメインとなる二人の名前が

極端に出てこない。

 

『君』と『【〇〇】くん』という表現

【〇〇】には主人公が自己完結的に

相手が自分をどう捉えているのかが入る

例えば【仲良し】くん、【地味なクラスメイト】くん

 

そして、彼は

彼女にも自分がそう見られるのを

どこかでおそれていた。

だから彼女の名前を呼ばなかった。

彼女が死ぬまで1度も。

 

だからこそ、

常に不思議な感覚で進んでいく物語。

名前が隠されている、見えない。

それと同じだけどこかに隠されてる何かがある

そんな不思議さを抱えながら最後を迎える。

 

二人の関係はそれくらい

不思議でこちらには伝わりにくく

そして、読者にすら隠されているような関係

 

死についての言及

わたしが死生観をテーマ関心に

おいていることもあり、

この本をよみながら、

そこを常に意識させられた。

 

なぜ余命一年と言われる彼女には

考えられる生きることの意味が

いつ死ぬかわからない彼には

考えられないのか。

 

なぜかどこかで

死は自分とは程遠いものだと。

目の前の人からも遠いものだと考えるのか。

 

彼女はいっていた

死ぬ前にやりたいことをしておけばって

あなただって明日死ぬかもしれないのに 

自分のやりたいことのために

時間をつかっていないのだから、

あなたにそれを言う権利はないし、

私の時間とあなたの時間は同じ価値のはず。

 

間違いなかった。

いつどこで死が訪れるかわからないのに

余命をつけられた彼女だけが

死を認識している。

 

それは、 ある意味余命を与えられた人の

特権のように思えた。

 

余命の与えられない私達は

いつ死ぬのかわからぬまま

そこに対して準備をすることも出来ない

 

この本をよんだからといって

その準備を始めた人は

はなしてどれだけいるのだろう。

 

唯一の愛情表現としての

2人は正反対の人だった

だからお互いに惹かれ、憧れ、羨んでいた

 

彼が彼女に

君の膵臓をたべたい』とゆったとき

それが彼の精一杯の愛情表現なのだと思った

 

だけど、

その続きを読んだ時、

2人の中でのお互いへの愛情表現が

最上級の愛情表現が

君の膵臓をたべたい』だった。

 

あれは、彼らの告白で、

二人だけの間の

たった一つの唯一の愛情表現だ。

 

正反対のふたりが、

最後には全く同じ思考をした。

 

二人の間のつながることば、

それがこれなのだと思った。

 

一方的に伝える言葉ではなく、

二人のなかの

唯一ふたりが交わる言葉だった。

 

こんなに美しいものは無いなと

心の底から思った。

不思議な感覚だった。

まだ言葉に出来てるように思えないけど、

これ以上書いても言葉にならないのだろう

というのは、わかる。

 

素敵な本に出会えてよかった