曖 昧 に 生 き ロ グ 。

か わ い く あ い ま い に い き ろ 。( 伝えるのは下手くそですが、見てくださってる皆さんのこととても感謝しています )

すごいや。

みんなすごい

 

突然思ったことだけど

わたしには心から大事で大好きだと

いえる大切な人達が

いまちゃんといる。

 

それって奇跡みたいな

夢みたいなこと

こんなことあるんだぁって毎回思う。

 

そのときにおもう

私に友達を作る力があるとか

そーゆーんじゃなくて

 

ぜんぶ

みんながすごいんだぁって。

 

色んなものを判断する私でも

色んなものを拒絶する私でも

そんなわたしの心のスイッチを

offにしてくれるひとたちだから、

 

初めて仲良くなれて

大切になれたりする。

 

今でも私は友達は少ない。

数少ない大切な人達は

毎回私はどこかで

あ、この人なら大丈夫かも

ってスイッチを切るタイミングがある。

 

つまり、

みんなが最初に入ってきてくれるの

わたしのなかに。

みんながoffできてくれるから

offにできるんだわたしも。

 

みんなすごいや。

こんなわたしに最初に歩み寄って

大切にしてくれたから

わたしはみんなを今大切にできてる。

 

夢かもしれないってくらいの

幸せを味あわせてくれてる。

 

 

今度は私からできるようになりたいな。

増やすつもりないけど笑

今の大切な人達を

わたしから大切にしに行くくらいの

そんな気概で生きていきたい。

 

 

みんなすごいや。

大切ってすごい。

すごい。

そういう人間

 

今日言われたこと

 

あなたの周りには

質のいい人間がよく集まっている

今までたくさんの人を見てきたけど

その中でも群を抜いている。

それだけあなたの縁や人脈には力がある

選んでいるのかなって思ってみていたけど

あなたが選んでいるようすもないし

きっと勝手にそういう人たちが集まっている

 

みんな気前が良くて

あなたを助けようとしてくれる。

あなたはそういう人たちに

好かれる力を持っている。


どんなにあなたが嫌がっても、

見合ってないと思っても

申し訳ないと思っても


勝手に気前のいいやつらに

好かれる人間なんだから諦めなさい

 

あなたがそういったって

明日からもまたあなたは

そういう人たちに囲まれ続けるんだから


望んだってもてない才能を

あなたは持っている。

 

 

あなたは見合ってないと思っていても

きっとみんなはあなたから

しらない間にいろんなものを受け取っている

 

申し訳ない、見合ってないと思うだけじゃなくて

一人一人に恩返しをするつもりで生きたらいいよ。

 

こんなに脆いのに

それでも誰よりも思いや意思をもっていて

だからこそ、支えたくなる

そんな人間なんだよ。あなたは。

 

 

 

2年前ある人に言われて大泣きした言葉

 

「まきは愛されキャラだよ」

 

それで泣いた理由

そう言ってくれた理由

 

 

今日また言われた気がした。

 

 

 

わたしの周りの環境や人や期待や役職

すべて感謝しているし

すべて本当に夢のようで

 

そして、毎回

私はそれに見合う人間ではないと

こんな人間なのにどうしてと

嘆いて生きてきた。

 

自分がそこで生きてていい人間だと

やっぱり今でもおもえなくて

自分が許せなくて

 

 

でも、

あなたはそういう人間なんだから

って、言われる

もう感謝していくしかないんだと

 

私なんかでごめんなさい。

ほんとうにごめんなさい。

まだごめんなさいから抜け出せないけど、

ほんとうに感謝しています。

 

こんな私にごめんなさい

ありがとう。

私が選ぶというわがまま

 

最近気づいたこと

 

 私は気づいたら

人の期待に応えることが

当たり前になっていたんだな

 

 

それもべつに

言葉にされたものでなくて

勝手に私が受け取るものでもあるんだけど

 

しかもそれを期待に応える

という感覚ではなく

あたりまえに

ここまでできなきゃいけない

として受け取ったり

捉えることがとても多い。

 

統括なんだから

社会人なんだから

私しかやる人いないから

私がやるんだから

責任があるんだから

 

ただ、

 

期待をするのは相手の都合

期待を受け取るかどうかは私の都合

 

期待をしてもらったのなら

問答無用ですべて答えなきゃと思うのは

期待に応えられなかったら

相手との関係が終わると思うから

 

期待をしてくれた相手に

こたえられなかったら

もう私になにかしてくれることは

なくなるかもしれないから。

 

でもほんとうは

期待を選ぶのも私自身で

それは相手と関係ない時分の問題

 

 

だから、

「期待に100%応えられるかわからないけど、

私は私のやりたいことをやるだけです。

やれる範囲は自分で決めます」

 

これでいいんだなあって。

 

自分で選ぶんだ

応え方も応える期待も

 

それは私がしてもいい

わがままなんだろなって

そうおもいました。

 

 

というおはなし。

 

気にしなくなってみる?

 

 

今日の曖昧に生きログ。

 

 すごくすごく気にしいの私

 

 ここで自分がこう振舞うことは

 この人にとっては嫌なのではないか。

 

 とか

 

 この全体の空気的に、

 ここでこの行動取るのは違うのかもしれない。

 

 とか

 

 気づくと、場や人の顔色を

 敏感に察知してしまう人間だったりする。

 

 それが自分の良さではあるなって思えるようになった。

 それだけ誰かのことを想える力があるって

 そういうことなんだろうなって思えるようになった。

 

 

 でも、今日ふとしたときに改めて、

 

 周りの人たちは、

 ここまで敏感に不安になったり

 自分の振る舞いを考えたり迷ったり

 するのかなあ?って

 

 

 目の前にいる人が

 ありたいようにあれるようにと、

 それを邪魔しないようにって

 自分を殺そうとしてしまうけど

 

 でも、目の前でありたいようにあれてる人って

 すっごいかわいいなっておもったりする。

 すっごい素敵だなっておもったりする。

 

 

 別に実は、そこまで周り気にしなくていいのかななんて

 思ってみたりした。

 

 

 きっと、ありたいようにあったとき

 そんな私をかわいいなって言ってくれる人が

 私のとっては大切で大好きで一緒にいきたい人。

 

 ちゃんと見つかってるやん。

 てことは、すこしくらいいいやんって。

 

 

 ゼロにするんではなくて、 

 鈍感になる。曖昧になる。緩くなる。

 

 

 そうだなあって。

 周りの人たちと同じくらい人に気を使いながら

 周りの人たちと同じくらい私も自由であってもいいのか。

 

 

 なんで、自分不安にさせるくらい

 敏感になって気を使ってるんだろうって。

 

 鈍感になれたら、

 もし空気を読めてないことがあっても、

 それも含めて、きっと幸せなんだろうなって思う。

 

 

 

 あー、ちょっと挑戦してみようかな

 って思ったりした。

 今日の曖昧に生きログ。

曖昧に生きログ。始めます

    今年のテーマに合わせてブログの名前を変えました。

 

 か く れ ん ぼ 

 改めまして

 曖 昧 に 生 き ロ グ 。

 

 今年は、どれくらい更新するんだろう。笑

 そこらへんは例年通り緩く生きますね。

 

曖昧に生きログ。の由来

 今年私は 曖昧 に 挑戦してみようと思います。

 

 自分の守り方は

 線を引くことだと

 線を張ることだと

 

 境界線をひたすらに明確にしようと

 そうすることで自分をしんどくさせない

 ちゃんと自分を守れる場所を明確にしてきました。

 そうやって自分の居場所を作ってきました。

 

 でもそうできるようになったけど

 それができたのもこの一年でやっとでした。

 2、3年前の私は、境界を簡単に飛び越えて、

 自分の不幸と他人の不幸を一緒にして、

 そして、自分も周りも苦しんでいるだけでした。

 

 だから、ちゃんと大切にする人を決めること

 大切にできることに線を引くこと。

 大切にし方に距離を取ること。

 そうやってちゃんとみつけた自分の大切にする方法は

 とてもとても幸せになれました。

 

 だから、もう一度挑戦します。

 

 今度は私が曖昧であると。

 

曖昧である。と

 

 曖昧であると。

 

 今まで決めてきた自分の境界の中で

 私は十分、いっぱい幸せをもらいました。

 幸せを作れるのだと、

 私は幸せになってもいいのかもしれないと。

 

 でも同時に、少しだけ、少しだけ

 しんどき時もあるんだなって気づいた。

 

 こうして、私は、

 境界線をつくることで幸せでもあれるけれど

 同時に、怖さや恐ろしさがあるのだと気づきます。

 

 この線を超えたらだめだ    と

 この線は超えてもいい線なのか と

 あの人は線を超えていないのか と

 

 だから、

 幸せになれる、幸せにできる自分で

 この線を緩めてみたいと思いました。

 

 無くさなくていい。大切なものだから。

 だから、ちょっとだけ反応しなくなる。

 鈍感になる。甘くなる。緩くなる。

 

 そう、だから曖昧である。と

 

今日の曖昧に生きログ。

 

 こんな感じで、たまーに

 私の曖昧に生きる日々を共有しまする。

 

 誰かに少しでも共通するものがあれば。

 

 

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 不安とか怖いとかって感情って
 自分の中で勝手に感じているから思っているだけで
 言葉にしたり書き出したりすると
 ああなんだこんなもんなのかってなったりするんだよね

 って人にアドバイスしながら
 自分は不安にまみれていた〜 自分マジック。

 怖さって目の前におきてないことに対して
 勝手に自分が想定しているだけなんですよね。
 多分実際に目の前でおきたら、それって怖さというよりは
 痛み・悲しみ・怒りっていう具体的な感情や感覚になるから。
 とはいえ、だからって怖さがなくなることはないんですが、
 少しはこう思うと、怖さに飛び込む勇気は少しだけ湧きます。

 言葉にしながら、
 こんなことで落ち込んでるとか
 ちいさいな〜      とか
 まだまだだな〜     とか
 そんな私もかわいいな〜 とか

 思えているうちはまだ行ける。

 

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大切にしたい人の大切にしかた

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大切にしたい人の大切にしかたがわからない。

 

そんなことけっこうあるんです。わたしには。

気持ちと感情のつながらない感覚。

好きなんだけど、大切なんだけど、

この気持ちをどう扱ったらいいかわからない。

 

パートナーとはもともと正反対の人らしい。

 

生物学的な問題で、

人間は自分の価値観などから一番かけ離れた人に

魅かれるようにできているみたいです。

 

子孫繁栄をかんがえたときに、

自分にはないものを持っている遺伝子と

それをわけあうことで、

より良いものが後世に残っていくように。と。

 

だから、本能的に魅かれあうパートナーたちは、

総じて、人間関係上はもっとも合わない者同士らしい。

 

片方が、物事の明確さを大切にしていたら

もう一方は、あいまいさを大切にしていたり。

片方が、今を大切にするタイプなら

もう一方は、未来に生きたいタイプだったり。

 

そりゃ合わないよねって。

 

人にとっての”あたりまえ”は自分自身

 

人は、自分自身の考え方は”当たり前”なんです。

だって、何十年も付き合ってきた自分の考え方だから。

それ以外を本来的に認識も共感もできません。

 

人は無意識のうちに、

みんな自分と同じような考え方をするものだと

自分は”普通”の考え方だと、思ってしまう癖があります。

 

そう考えると、自分の考え方以外の方法で

相手と向き合うことが苦手といってもいいでしょう。

 

だからね、相反する相手だからこそ、

相手は相手の当たり前で大切にされたいし、

私は私の当たり前でしか大切にする方法が分からないんです。

 

だから、大切な人を大切にするのは難しい。

自分にとっての大切にする方法は、

私が大切にされてきた方法であり、

自分が求めている大切にされ方でしかないのです。

 

相手の人を大切にするという行為を

自分の方法で 大切にする とみるか、

相手がしてほしいように 大切にする とみるか。

 

でも、

相手のしてほしいように大切にする って相当難しいってこと、

これまでの話で分かってもらえると思います。

 

じゃあ、どうしたらいいの。

 

じゃあどうしたらいいんだろう。

そこにわたしは今止まっています。

 

わたしの中ではね、

・お互いの当たり前が当たり前でないことを認識すること。

・自分の大切にする方法は、相手にとってのそれではないこと。

・相手の当たり前を認識することは、とっても難しいこと。

これをお互いが分かり合えることだと思っています。

 

お互いに、それがわかれば、

お互いに相手のそれを受け止める準備ができるし、

相手のそれを相手なりの大切にする方法だと考えることができるし、

たまには相手がしてほしい大切にしかたってなんだろうって

なやんだり、それを打ち明けたりできるようになると思うから。

 

 

でも、これも、私の”当たり前”の話。

それを受け入れることが当たり前でない人がいること

それをわたしは理解しなければいけない。

 

 

だから、

 

あなたはわたしをこれっぽちも大切にしてくれない。

 

なんて考えたくないのです。

 

あなたなりの方法なのかもしれないって

そう思える人間になりたいし、

 

あなたなりの大切にされ方はなんだろう

わたしはどんなふうに大切にしよう を

考えられる人間でありたい。

 

 

そんなうまくいかないけどね。

なんて話。

人の根本は輝きだと思う。

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生命としての輝きが好き

 

自己表現という固い言葉を使うけれど、

それは、自分自身の命としてのありのままの輝きだと思う。

 

いろんな肩書や過去や、関係やしがらみや、

あなたを覆っているたくさんのものがある。

 

それは、例えば服のように、

素肌のままでは生きていけないから

傷つかないようにと、自分を守るために重ねてきたものでもあると思う。

 

だけど、だからこそ

どんな服を着るか選ぶように、

あなたはあなたの生きる世界を選ぶことができる。

 

本当のあなたは、

その服の内側の生身のあなた自身であるから。

すべてを脱いだあなたで歩いていてもね、

それはそれは、素敵で綺麗な輝きを持っているんです。

 

だって、あなたはここに生きているから。

命として産み落とされているから。

愛されて、世界からの愛を受け取って今そこに立っているから。

 

すべての生命が、

そんざいして、そこにある意味や、意義や、輝きが

必ずあるとわたしは信じてやまないタイプの人間なのです。

 

わたしの話。

 

わたしは、”自分は愛されない” ”人を不幸にしてしまう” という

服を着て生きてきました。

 

それは、わたしは好きで着たものではないと

誰かに、着させられて脱げなくなって、

そして、それが当たり前だと思っていました。

 

そして、だからこそ

自分の生身の自分の価値も疑っていた。

 

でも、実はその服だって、

自分で選んで着たんです。

 

親から暴力を受ける。

親からお前を産まなければよかったといわれる。

友達から裏切られる。

学校でいじめられる。

 

そんな中で、わたしは自分を守るために

一つの服を選びました。

服っていうよりは、鎧かな?

 

”愛されたい!”わたしでは、

”誰かを幸せにしたい!”わたしでは、

そんな生身のわたしでは傷ついてしまうと、

わたしを守るために、自分でこの鎧を作ったのでした。

 

でも、それをわたしは今知っているから、

自分でこの鎧を脱ぐことを選択できます。

 

そして”誰かに愛を届けるわたしでありたい”という

新しい服を自分で選ぶことができます。

 

 

その根本はね、

わたしの命、存在、生命体 に対する 愛情なのだと思います。

それは、わたしの命としての強さであり、

わたしの輝きになるのです。

 

やっぱり、生命として輝く人が好き

 

だから、わたしは

生命として輝けるあなたを守りたいのです。

 

あなたは、そんなもんじゃないって。

自分で自分の価値を決めつけるなって。

一回全部脱いでみたらいいじゃないって。

 

そんなことをおもっているけど、

私の周りには、

ああ、輝いていて、そして人間臭い

そんなひとたちがたくさんいます。

 

別にね、プラスな感情を言っているのではなく、

ただ、どんな感情もありのまま

そのままで、自分自身の生命として生きている

あなたがとても素敵なのです。

 

かく言うわたしは今焦っている

 

こんなこと好きに言ってみたものの

わたしはいまなにかって、”焦っている”んです。

 

わたしは、私の輝きたいように輝けているのか?

あなたの生きざまはこんなものなのか?

 

というよりは、

なんだろう、もっとね、奥の方から。

 

”もっともっと好きに輝きたい”

 

という欲求

 

 

好きな人と好きなことをして

好きな言葉を使い、好きな表現をする。

 

そして、嫌な感情も、好きな感情も

そのままに、ありのままに強く歩き続ける。

 

そんな私でありたいんです。

というよりは、私はそう在れるはずなんです。

 

今持っているものを認識して

そして選択して脱ぎ捨てたいのです。

 

はあ、輝きの中で生きたい。