曖 昧 に 生 き ロ グ 。

か わ い く あ い ま い に い き ろ 。( 伝えるのは下手くそですが、見てくださってる皆さんのこととても感謝しています )

気持ちよくなる瞬間。

さっぱりする瞬間って

案外一瞬でやってくるんやな

という、感想。

 

どちらかというと相手がどうとか、

関係性がどうとかじゃなくて、 

自分が出し切れたらすっきりするんやあ

っていう、新たな発見。

 

自分の人の大切に仕方は

中々、一般から外れている自覚はあって

 

昔なんかは

その相手の反応で

あぁ、この人は受け取ってくれへんのや

とか思って悲しくなってた人間やけど 

 

いまも、多少はそういうんはある

でも、そこから自分を責めなくなったな

 

自分の愛し方は愛し方で

不器用やけどまっすぐでええやんって思う。

 

そのうえで

ゆーたら、火加減が苦手だからこそ

人との関係性の測り方は

それが届く距離のとり方で

決めるような感じなんやろなぁ。

 

だから、そばにいる人って

なかなか選べないというか

見つからないけど、

どっかにいるのも、知ってるし

今の大切な人達は

いまの中で大切にしようと思う。

 

 

ふぁー。

すっきり!

お風呂上がりみたいな感覚。

気持ちいいまま、

おやすみなさい。

 

 

ちから。えいきょうりょく。

 

 

ちいさくまとまってんなぁ。

 

 

って言われたの。

 

 

確かにそうなのかもしれないなぁ。

今の仕事の環境につき始めて

私は変われたなって思うことが多い。

 

昨日も話したけど。笑

 

今まで自分の過去を明かすことは、

人から避けられるものだと思ってた。

 

精神疾患をもっている とか

自傷癖がある とか

自殺未遂をしたことがある とか

 

でも、それを誰かのために

使えるんだなと思えたり、

それを伝えてみても

まきはまきじゃんってゆってくれる

 

いいんだなあって思った。

 

幸せになっちゃダメって思ってた

不幸であることがアイデンティティ

悲劇のヒロインになりたかった

誰よりも不幸な私が頑張ってるって

 

でも幸せになっていいんだなぁって。

 

 

 

そしたら、気がついたら

わたしをわたしとして見てくれる人 を

周りに固めるようになった。

 

わたしが何をしてきたか

何を語れるか

どんな力があるか

 

そんなことにまったく興味ない

そんな人達が好きになった

 

 

それまでの私は、

誰よりもすごくありたかったし

だから、

すごいって言われることが快感だった

知らない人が私の名前を知ってること

なんか、まきさんに会えって言われて

そんな人達がくることが嬉しかった。

 

 

でも、

なんか、あのころの自分は、

自分はすごいって

マウントとってるだけに思えて、

 

教えるとか、

崇拝されるとか、

ファンがいるとか、

 

確かに今も嬉しいんだと思うけど、

そんなに求めなくなった。

 

 

 

でも、

なんか、エネルギーの使い方

やりようあるのかなぁ

と思ってみたりもした。

 

そんな、言われた言葉に

素直にゆさぶられるなよ

と思ったりもするけど、

 

 

わたしがやっていきたいことを

作りたいものをつくるには

伝えたいことを伝えるには

 

ある程度の伝える力と

それだけの影響力もいるんだろうなって。

 

 

伝え方の問題で

さっきの話は解消されたり

するんかなあって。

 

 

確かにね、

実は自分、人の前に立つの好きなんよ。

頼られることもすごく好き。

 

やっぱり、あなたすごい!

っていわれるのも好き。

 

ほかの人と違うな。

尖ってるな。

そんな言葉も好き。

 

 

でも、

あのころの自分は

やっぱり、

怖さをもっていなかったというか

力を振りかざしていたというか

 

それを快感に思ってた気がするから。

そんな自分には戻りたくはないんだけど。

 

 

ただ、今のわたしで届けられるものを

わたしなりの形で届ける努力は

してもいいのかなあと思ったり。

 

 

 

自分のことを言葉にすることは増えたけど

自分が考えていることを

発信することはめっきり減った。

 

それが、だれかに響いても

だれかを傷つける可能性も

同時にあるって知ったから。

 

自分には少なからず

人よりは強い影響力があるとも知ったから。

力の使い方を迷うようになって

迷った結果力を使わないようになって

 

 

 

自分の力を自覚することって

いいことなんだけど、

こうやってちいさく縮こまってるって

自分でもおもうんだよなあ。

 

 

力の使い方が

しばらくはテーマだなと

思うこの頃。

愛を知った日。

 

最近ふと思ったけど

全然新しい人に会ってない。

 

仕事上いろんな学生にも会うし

初めましてなんて毎日あるんだろうけど

 私の中で増えていかない。

 

 

なんというか

大切な人をほこほこと

大切にしたい時期なのかなぁ。

 

 

でもこの時期というわりに

この時期が、一年以上続いている。

 

自分の中でこの人達と生きたいなぁ

って思う人を

ただただ愛で歩いてるような、日々。

 

 

 

思えば、始まりは

今の仕事の環境を選ぶと

決めたときからだったかなぁ。

 

それとも、

半年前に別れた

人生で一番長く深く付き合った

あの人に出会ってからだっけ。

 

そのふたつの始まりをくれたのは、

私の中で踏ん切りつけてくれたのは、

 

 

 

ああ、そうだった。

あの子を中絶してからだったな。

 

 

二年前。

2016年5月4日

 

わたしは人生で初めて

人の命を自らの意思で殺めた。

 

 

 

中絶というものを

本人も周りも隠すことが多い。

 

中絶を経験したことで

どんな目で見られなきゃいけないのか

私には正直わからない。

 

人を殺めた人間への怒りか

軽率な行動をした人間への軽蔑か

そんな人間が幸せになることへの批判か

 

私も当時は隠していたし、

親にも言わず、当事者にも言わず、

唯一頼れる先輩からお金を借りて、

そして、一人でおろした。

 

ただ、あの子が私に教えてくれたものは

私にとってかけがえないものだったと思う。

 

 

 

誰かのために

自分を犠牲にする生き方はやめよう。

 

私は私の守りたいものを

守りきれる人間になりたい。

 

今までの私、よくがんばった。

ちゃんと幸せになろう。

幸せにならなきゃ、この子に失礼だ。

 

もっと幸せになって

ちゃんと、幸せに出来る家族を持って

次は、一緒に喜ぼう。   

 

 

そんなふうに気づかせてくれた。

だから、私にとって

中絶という過去を

ダメなものだと隠すことが

殺してしまったあの子に失礼なんです。

 

だから、ありがとうって思うから。

ごめんなさいって思うから。

おかげで、幸せになれたよと思うから。

今日もこうして語りたい。

 

あるべきことではなかったんだと思う。

経験していいものでもなかったんだと思う。

あってはいけないことなんだと思う。

でも、だからこそ、

語ることをやめてしまうのは

本当に本当に違うと思うのだ。

 

 

幸せにしてあげれなかったけど

あの子は私に幸せをくれた。

 

 

あのころ、

こんな私は幸せになる資格はないと言った。

私を愛してくれる人はいないと言った。

私の愛し方は歪んでいると言った。

こんな人間が、生きる資格ないと言った。  

 

 

今はもうそんなこと思わなくなった。

 

 

不器用だけど、全然ダメだけど

幸せになりたいと思ってる。

幸せだって思ってる。

愛されてるって思ってる。

ちゃんと、愛せてるって思ってる。

生きていきたいと思ってる。

 

ありがとう。

 

 

まぁ、だから、

こんな生き方でもいいかな。

 

目の前の大好きなあなたたちを

ただ幸せに大切に守るために。

愛するために。

一緒に幸せになるために。

 

 

私は生きようと思う。

幸せになろうと思う。

あなたのために

幸せを、作ろうと思う。

 

想いは変わらない

やることも変わらない

 

変わったのは

生きる意味だと思う。

 

 

 

今年も、また、

考えさせてくれてありがとう。

ありがとう、

少しの間でも私のそばにいてくれて。

ありがとう。

眠れない夜

 

眠れない夜が続いてる。

 

単純に

遊んで昼夜逆転した

なんてのもあるけれど、

 

受け入れたくないんだろうなぁ

 

どうして行くのがいいかわからなくて

生きてる実感や

生活する実感や

時間が過ぎていく実感を

 

いまここで

とりあえず、止めてみたい。

異空間に飛んでみたい。

 

みんなと同じ時間軸ではなく

ここにはここの時間が流れている

そんな感覚。

 

せっかく変わったと言われたのに

こうやって逆戻りするのかあ。

 

こんなことを理由に

引き止めたりしがみついたり

そんなことはしたくない。

 

ただ、笑って今日をいきたい。

 

 

いつ死ぬかわからないから

今日死んでもいいやって思えるように

いつでも今も明日も

誰かと生きていきたい

 

それを甘えだとか

弱さだとか

そんなふうに言われるなら

 

人間弱いから人間なんやって

綺麗に生きようとすんなって

笑ってやりたい。

 

井の中の蛙

井の中の蛙大海に挑む】
【社会人になります】

 

井の中の蛙 大海を知らず
されど、空の深さを知る

 

結局どのタイミングで
確定したのかわからないけど
3月で、大阪大学を中退いたしました。

 

結局ご挨拶できず、言葉を交わすこともなく
大学を去ってしまったことは、
いまでも心残りです。
こんな不義理な人間に、
多くのものを本当にありがとうございます。

 


大学で新潟から大阪に出てきた頃の私は、
今から比べたらとてつもなく
不恰好な不揃いな不細工な人間でした。

 

自分のことは、
世界で一番不幸な人間だと思っていた。
自分は世界にとっての不純物だと思っていた。
明るい、元気な、できるわたしを繕ってきた。

 

ただ、そんなわたしを、
ちゃんと愛されていると実感させてくれたのも
ちゃんと愛することができるのだと思えたのも
自分の過去が、経験が
誰かのためになると思えたのも
本当に守りたい人・場所を
自分で作れるようにしてくれたのも
腐らず、崩れず、そんな私も
生きていこうと思わせてくれたのも

すべては、大学生活を通して出会い、
向き合い続けてくれた人たちのおかげでした。

 


この4年間で
これから先も、一生一緒に生きて生きたいと
この人たちのために生きれる人間になりたいと
こいつらを幸せにできる人間になりたいと
そう思える人たちに出会えたことが
過去の自分に見せれる、何よりもの誇りです。

 

 

4月から、社会人になります。
今までのわたしを知っている人たちは
口を揃えて
「お前が会社に属することができるなんて」
と言ってくれます。笑 
私もそう思います。笑
私なんかをいれてくれる会社は
うちの会社くらいしかないです。笑

 

 

自分の強さは、
思いの強さ/こだわりの強さ
だとは、今でもよく思います。

でも、自分には、心の器が足りない。
志や技は磨いてきたし、作ってきたけど、
それの根幹を支える、
心と体の調和と維持が
私にとっては一番の課題です。

 

 

今私には、守りたいと思う人たちと
幸せにしたいと思う人たちがいます。

 


今までは逃げてきたかもしれないけど、
この本当に守りたい、幸せにしたい
そして一緒に生きて生きたいとおもえる
大切なやつらを思ったら

 

もう、わたしが
おっきくなるしかないんだなって思うんです。
おっきくなって、幸せにして、
そんでもって、次のステップに進みたい。

 

 

全身全霊で全力と本気を込めて。
人間として大きくなりに
社会に出てきます。

 

 

 

*************************

 

井の中の蛙 大海を知らず
されど、空の深さを知る

 

 

私はまだなにも社会をしらない
人を知らない。世の中を知らない。
自分を知らない。何も知らない。
だからこそ、大海に挑みに行く。

 

でも、きっと、井の中で見てきた
見つめ続けてきた、この思いの深さや
この感性の深さや、感覚の深さを
どうかどうか、これからも忘れずに生きて生きたい。

 

海をみてもいい、海に挑んでもいい。
でも、大切な、大好きな
空をみることを忘れるなよ。

 

*************************

2018.4.1 23:00 

さいきんのわたし

最近のわたしについて。

 

多分もしかしたら

この記事消すかもな感じ。

 

誰にも言えてないことが

何故か嫌だと感じる私がいて

だから、書く。出す。

 

なんなんやろね?笑

自己顕示なんやろうか?

嘘をつきたくない

綺麗でありたいの価値観なのか?

しらん。笑

 

私はネガティブやから

前者やとしかおもえへん笑

 

 

隠してないようなことからいうと

境界性人格障害っていうのを

診断されたことがあります。


大学一年の後半くらいからかな?

なんか、元々は

統合失調症系の病気と神経症系の病気の

境界に位置するって意味でつけられた名前らしいっす。

"強いイライラ感"が症状として現れる神経症と、

"現実が冷静に認識できない"認知障害をもつ統合失調症

間にあたるものとしての位置づけらしいです。

 

思考が0か100の極端でで、

感情のコントロールができなくて、

衝動的な行動をしてしまったり。

見捨てられ不安などが極端に強いのが特徴で

基本的に人間関係に

大きな欠損のある病気って言われてて

 

この名前で調べると、

境界性人格障害の人には

近づかない方がいいって

書かれてるようなやつ。

そんな病気です。

 

その反面

誰しも持ってる性格とか思考のくせが

自分や周りに悪影響を及ぼす

生活に支障をきたすレベルになると

つけられるのが人格障害の類とも言われてて

だから病気じゃねーよっていわれることも。

 

ぶっちゃけ診断される前から

自分がそれだろうって

高校1年くらいには気づいてた。

 

中3には

オーバードース(薬の多量摂取)で

病院に運ばれているし

自傷過食嘔吐も中3からだから。

なんとなく知ってた。

 

大学来て親から解放されて、

それでもしんどかったのと

正直、しんどい言い訳がしたくて

病院行った。悲劇のヒロイン的な感じ。

ほら私、病気だからって思いたかったし

ほらやっぱり私って不幸でしょって言いたかった。

 

診断されてから、カウンセリング始めて

1度症状悪化して薬大量に飲んで運ばれて、

カウンセリングいくのもやめて、

そこからこうして生きてきた。

 

境界性人格障害の衝動行為の一部として
自傷とか薬めっちゃ飲むとか
過食嘔吐も拒食もしてきたし
睡眠も安定せーへんし

 

 

正直ここからはあんまり

みんなにいえてないけど


自傷は大学3年以降は

年に1回とか半年に1回レベルには

なったけど、


今でも自分がそれをしたら

また病気って状態を

自分で認知するのが怖くて
我慢してるだけで衝動はあるし

 

摂食障害
過食衝動は今でもたまにあるし、
その時に吐いちゃうこともあれば


今は過食全然してなくても
下剤を飲み始めてしまって

飲むのやめれへんかったりしてて

 

 

今はみんな、

もうまきは大丈夫やろって

言ってくれるんだけど、

 


でもやっぱり自分の思考のくせとか行動とか

それが自分も周りも苦しめるのが嫌だし


いまの自分の行動も

ほんとはちょっとおかしいの分かってるし、

それを隠してるだけで

 

でも隠せてたり、我慢出来てるってことは、

普通になったって思った方がいいのかな

っても思うし、

 

 

また病院いったりしたら、
自分で自分のこと病気だって認めて
悲劇のヒロインになるのが嫌で

 

だから、ずっと
いやまあもう治ってるし
一生ある程度付き合うものだし
誰しも持ってる思考の癖が

ちょっと強いだけだしって

思っている自分がいた。

 

 

最近仕事もそうだし、
周りの人もそうだし、
恵まれてる環境の中で
そこにちゃんと、むきあえない
みんなを幸せにできない自分も
みんなの期待を裏切り続ける自分も嫌いで

 

 

やっぱり
ちゃんと治すってところに

向き合いたいかもしれないとも思ってる。

ちょっとだけ。

 

摂食障害のこととか、

境界性人格障害のこととか、

ちゃんと、カウンセリング

受けに行こうかなって思ってるけど

 

またそれが怖くて怖くて


みんながそれ知ったら

やっぱりまきってまだ病気やん

ってなるんかなとか

 

関わるのやめとこって

思われるんかなとか


また私はその病気を振りかざして

甘えて自分を守るんだろうかとか

 

 

もう怖くて怖くて

 


誰にもやっぱり言えなくて。

 

 


大好きで大切だった人にも

今、大好きで大切な人にも

絶対話せないの。怖くて。

 

 

怖いなぁ。

このブログしょーみ

知り合いにほんまに教えてないし、

知ってるやつも

そんなみてないの知ってるから

なんも知らない人にだったら

いいかなって気持ちと

とりあえず吐き出したかった。

 

 

さて、書いてみて

どんな気持ちになるやろ私。

ほんまにいるんやぁ

 

 

最近涙脆すぎるまきです。

 

大学1年から関わってきた団体の

その中でも一番だいすきで

一番力をかけていた大学の

追いコンにいってきました。

 

途中から意味のわからんかたちで入って

でも、だいすきで

それをただ伝えようとし続けて

守ろうとし続けて

叶わなかったと思っていた団体で

 

代表も途中でやめ

関係性がこじれたところもたくさんあって

触れられずに置いてきた場所で

 

私の中で

触れちゃいけない過去になってたもの。

 

 

行った時に

私のテーブルにわざわざきてくれて

「正直まきさんのおかげで変わりました」

ってゆってくれる人

「久しぶりだね元気してた?」

ってゆってくれる人

「あのときはお互い子供だったね」

って言いあえた人

 

私ほんとにやっぱりここが

大好きだったんだって実感と

そこに今帰ってこれたことが

ひたすらにうれしかった。

 

 

ひとり、この団体で

わたしのことを本当に本当に

心の底から支えてくれた奴がいて

 

「あのとき最後までまきを支えてやりきれんかったことをずっと申し訳ないと思ってた」

ってゆってくれて

「まきの愛情表現はまったく歪んでない。

むしろまっすぐすぎるくらいまっすぐで

伝えるってこととか伝わるってことが下手なだけで、それをやるのが俺の役目や」

ってゆってくれて

涙しか出なかった。

 

気づいたら

まわりのやつらに

私の追い出しの言葉あるか

こっそり確認してくれて

後輩いる中でもいち早く私のとこ来てくれて

二人で一緒に感動して

 

ほんまに大切な人だった。

あらためて、わたしは

どの環境でもがんばれたのは

そういう人がちゃんとそばにいてくれたから

 

なにもいわずとも

お互いきっとこう思ってんねやろな

って、思い合える人。

 

こいつをのがしたらおしまいで

一生大切にしたくて

それをまたつなげなおして

だいすきだっていえてよかった。

 

 

わたしが勝手に黒にしてきたけど、

わたしはほんとうに

あの場所に愛されてなかったら

そもそも、がんばれてる分けなくて

終わりの形がどうであれ

その後にもちゃんと残ってて

大切な大好きな場所って

また明日から言えることが嬉しい。

 

いっぱい迷惑かけてきた。

好きなだけ料理して

後片付けを全部同期に任せて抜けた。

自分のした事でも後処理なんてめんどいのに

かってに人が作ってった後処理を

何も言わず、自分たちの仕事だと

やりきった同期がすごい。

 

ほんとうにすごい。

 

これから一生かけてでも、

ありがとうを、返したい組織です。

いまでもすきだ。

ありがとう。